百姓日誌

福津農園 Day10 踏込温床の準備

福津農園 Day10 踏込温床の準備

3月15日(火)朝は少し曇りのち晴れ

始まりはニワトリのお世話から、今日も緑餌をとりに裏の山へ。花が咲きそうな大根やカブ、小松菜なんかを採ってお届け。

午前中は苗を作る準備と踏込温床を作るための準備をしていく。

まずは温床を作るための枠の外に盛っている土、雑草が生えまくっているが…雑草を抜いてからふるいに掛けて袋に詰めておく。

この土は3年前に温床として使ったもの。3年ものの熟成された土になっている。

午前中はその作業だけで終わった。コッコは今日も自由気ままに餌探しに明け暮れている。

午後は温床の枠の中にある土を枠の外に出していく。ここの土は2層に別れていて、一番上は2年前に温床として使ったもの、一番下は1年前のもの。

下の層を掘り起こしていくとでっかいカブトムシの幼虫が!カブトムシの幼虫ってこんなにでっかいんだっけ?!と驚いた。

掘っていくとゴロゴロと出てくる幼虫達。この倍くらいは出てきた。ここにカブトムシの幼虫がたくさんいる理由がある。それは温床を作るときに使う材料に秘密があり、剪定で出た枝をチップ状にしたものや、米ぬか、野菜くずや果物のくず、鶏糞などが入っている。幼虫はその中の木のチップを食べながら大きくなっていくようだ。

踏み込み温床とは、先程あげたような有機物を微生物が分解していくときに発する熱を利用して育苗をサポートするもの。ひよこのための床暖なんかにも使う。熱は60℃くらいまで上がるそうだ。微生物が働くことで、温床のために入れた材料が少しずつ分解されていく。さらにカブトムシの幼虫は木を食べて排泄する。それをまた他の生物が食べて排泄する。そうやって少しずつ少しず自分たちが「土」と呼ぶものになっていく。

その土を利用してまた野菜は育っていく、そして人間の体を作ったり、他の生物の食料となっていく。そして、また排泄物となって土に戻っていく、もはやどこがスタート地点かが分からない循環がここで起こっている。今までの生活では土から離れたところに食べ物があって、どんな風にできていくのかということがイメージできていなかった。しらとり農場、福津農園と自然の中で土や虫や植物に触れていくなかで、人間を含めたくさんの生物が大きな自然の循環のなかで互いに影響しあって生きていることを少しイメージできるようになってきている気がする。

温床の側にはいつか植えた里芋が勝手に生えていたらしくそれも収穫。

残りの時間は、梅を剪定した枝を細かく切る作業へ。

政満さんが梅の木を剪定していると「珍しいものがあるよ~」というので見てみるとカエルが梅の木のトゲに串刺しになっていた。これはモズという鳥が餌をとっておくために刺しておく「早贄-はやにえ-」というものらしい。忘れちゃったのかじゃっかん干からびているようにも見えたけど、干したほうが味が凝縮されて上手いのだろうか?

今日剪定していた場所は家から下の場所で昔は沼地だった場所らしく、剪定しながら「こういう条件不利な場所には何を植えたら良いのか?自然界ではこういう場所にどんな植物が生えているか?と考えるのが大事だよ」と政満さん。その場所は現在も土の湿気が多めで柔らかい。縁に近い方は土が締まっていてそういう場所に梅の木を植えてある。

また、野菜を植えても収穫のときに下から上に運び上げる労力を考えたり、そういうエネルギーを使う価値があるのかを考えなければいけないし、エネルギーの収支がマイナスになってしまったら元も子もない。肥料をあたえるやり方だとその場所に肥料を運ぶだけでも重労働になってしまう。そしたら人にやってもらいたいと思うだろうし、人を雇うのにはお金がかかるかもしれない、そうなると売れる作物をもっともっと作らなければいいけないかもしれない。いつも物事の本質を考えさせられる話をしてくれる。

夕日が沈むと風が少し冷たく感じた。今日の締めの作業はニワトリのお引越し。日が沈んで人間でも暗いなと感じる時間になると彼らは地面から離れて、とまり木や小屋の梁の上にとまって休むらしく、今日はじめてそれを見た。そんな彼らを一羽ずつ下ろして脇に抱えて次々と引っ越しをしていく。日中は捕まえることさえ難しいくらい逃げ回るが、夜は目がきかないのか、かんたんに捕まえられて、抱えてしまうと意外と暴れることはない。

何が起きてるんだ?!なんて思っているのかどうかは分からないが、脇に抱えたニワトリの心臓の鼓動が心なしか早く感じた。

無事にニワトリを移し終わって今日の作業終了。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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