4月26日(水)雨のち晴れ
雨が昨日の夜から降り続いて、今朝起きてからも降っていた。予定通り作手での作業は中止となって盆栽ベースでカケラプレートとコースター作りをする。
午前中は紙やすりを片手にプレートとコースターを削り続けた。ヤスリって削ると言うけど、キズをつけ続けてるってことなんだよなぁと、大きなキズから小さくて細かいキズをつけることでなんだかキレイな見た目になって、スベスベな手触りになっていく。実際にフラットな状態になっているわけじゃなくて、その細かさを感じられないだけか。だからなんだということもなく黙々と作業を続けた。もしかして、少しザラザラしてるのが好きな人もいるかもしれないようなと思いつつも、それさえもどんな時に使うかによるよるだろうし、美しさの基準が人それぞれなように感触の好きずきも人それぞれ。
自分たちが持っているその感覚がどのくらいの人と合うか、もしくは今まで知らなかったその感覚を良いねと思ってもらえるのか。色んな人のサルサがある中で僕のサルサを良いねと言ってもらえるのに近い。良いねと思ってもらえるために何かをしたのかと問われれば、あまり良く分かってない。自分が思うカッコいいサルサを求めていったということだけで、それがたまたま他の人と合ったというだけなんだろうか。それは偶然?
盆栽センターの味噌煮込みうどんが僕に合うような感じなんだろうな。たぶん。雨が降って少し肌寒い今日は温かいうどんを欲していた。
午後はホルツ三河へ丸太を運んだ。と言ってもトラックに積んで持っていっただけで、ホルツの方が大きなグラップル(?)で下ろしてくれる。
ここに並んでいる丸太が競りにかけられ値段がつく。
戻ってきたら今日の作業は終わり。かどや小学校で24日~5月5日まで「みどりの10日間」をやっているというので遊びに行ってきた。
ラパンエパンの塩パンとままごとカフェのコーヒーをお供にお二人と話をしていた。今日は雨が降り続いてお客さんが少なかったみたいだけれど、そのお陰でゆっくり話をすることができた。
人生は何か「と」何か「と」何か「と」、と「&」が繋がっている。これとあれとそれと、そしてこれも、「&(アンド)」には「そして」という意味も含まれてる。何かと何が繋がって、そして今がある。今もまた何かと繋がって、そして何かになる。僕も自衛隊と営業とプータローとコンビニと介護と漁師と組立工とサルサと…そして百姓、木こりと、色んなものが繋がり、そして今がある。僕の人生の出来事や僕とだれかの人生も「et(エ)」「y(イ)」「と」で繋ぎ合わされていく。「lapin et pain うさぎそしてパン」一つの名前にもストーリーがある。その物語が人を面白くするのだろうし、語られるものだからこそ人から人へと広がっていくのかもしれない。人には生きてきた時間の分、それぞれの物語があるのだから面白くない人なんていないんだろうな。たまたまその物語を聞くチャンスがあるかないか。語られるか語られないか。
パンを食べてコーヒーを飲んで話をしているうちに雨は上がって、周りの緑達に降り注いで少しだけ残った雨粒が太陽の光を反射して白や虹色に輝いている。
気のせいか植物達も生き生きしているように見えた。
かどや小学校をあとにしてゆ~ゆ~アリーナでお風呂に入って帰宅した。