4月27日(木)晴れ
まだまだ生活のペースが掴めずにいると言ってもう1ヶ月経ってしまった。溜まっていた日誌を写真とメモと記憶を頼りに書いていこう。(これは5月2日に書いている)
作手の作業も大詰め。周りの田んぼも耕運されて田植えの準備が進んできた。
そしていきなりお昼の弁当の写真になっている。残っていた木をばんばん倒していたんだろうな。
メモには「伐る方向、出しやすい方向を考えて伐る」と書いている。なんなら、求めている最終結果から逆算して今何をするのかを考える。
あとはチルを引く速度を遅く(遅くすることはあるのか?)とか早くとかは、自分が木を伐る事で分かってくることなんじゃないのかなと思った。この木だった早く引かないとあっちへ倒れていってしまうなと思えるようになるまでに何本の木を倒して、見ていかなきゃいけないのか。むしろ自分が伐ることで経験することの方が大きいのかな。
まだまだ作業の流れの一部しか分かっていないということが分かっていて、その中で想像できることは限られてくる。求める最終結果は分かっていても、その途中で達成したいことのいくつかは想像すらできないものかもしれない。それでも「こうじゃないのか、ああじゃないのか」と想像しながら作業することで、自分が想像したものとのギャップが失敗となって現れる。それを埋めながら経験を積んでいくしない。
午後にはすべての木を倒し終わって道際に生えている広葉樹だけが残った。