木こり日誌

新城キッコリーズ Day11 ヒノキの大木に手こずった日

新城キッコリーズ Day11 ヒノキの大木に手こずった日

4月17日(月)晴れ

今朝は妻が鎌倉視察&ピラティスのマシンインストラクターの養成講座を終えて帰ってくる4:50に。帰ってくると時間がないなと思って3:30には起きて弁当と味噌汁を作って豊橋へと向かった。少し早くついた妻を車に乗せて道中、色々と話しを聞きいた。

朝ごはんを済ませて作業中の現場、作手へ向かった。

ほとんど伐り終わっていて残すはヒノキの大木一本と丸太を運び出すだけだ。

短い切り株に引っ掛ける場合は受け口のようなものをつくればいいらしい。

今日からようやくチェーンソーを使えるようになって、できる仕事が少しだけ増えた。伐った木の枝を払う作業と玉切りをした。枝を払うと言っても小さな木の枝ではないから、先端を払って付け根のあたりを残して置いたりすると滑り落ちたりした時に何かに引っかかったり、人にぶつかったりする危険がもある。払った枝もなるべく地面に付くように刻んであげる。それは足場を確保するためでもある。

材を道へ引き出してくる順番というのも考えながら行わなければ手数だけが増えて無駄な動きが多くなる。「どうやったら少ない動作、短い時間でできるのか」というのは作業をしていくのには非常に重要なことだ。時には効率であるこも重要だ。人生の要素になんでも効率化を求めるとおかしなことになるというのは置いておいて、作業や仕事に置いては必要な成分だと思う。

丸太も長短様々、どの順番で出すのか、短く切って出すのか、何本かまとめて出すのか、出せるのか、パズルのように組み合わせていく。しかし、パズルは形が決まっていてこれしかないというところにしかハマらない。それでも作り始める場所はどこからでもできる。パズルには効率性はないか。。。ならばやっぱり将棋やなんかに近いかもしれない。現場が今こういう状態なら、君たちがこんな風に攻めてくるなら、私はこういう手を打とうとあれこれと考える。

とそんなこんなで作業をしているとすぐにお昼になった。そしてカメラが死んだ。有機体は無機質に戻ろうとする欲動があるとフロイトが言っていたの読んだ。いやそもそもカメラは無機質なものだったはず、それでも自分にとっては有機的な存在ではあった。本当に無機質なものになってしまった。さてどうするか。

お弁当を食べて昼寝をして午後の作業へ向かう。

枝が張りまくった太いヒノキ、これは田んぼに落としたくない。

チルホールで引っ張りながらたおしてみるも、田んぼ側にたくさん張り出した枝の重みが想像以上で等高線上に上手く倒れたけれど田んぼ側へずり落ちた。バックホーのパワーで何とか上に引き上げようとするも思いのほか重かった。下の方についている枝の一つ一つ一つが直径14cm~20cmくらいの太さで、そのへんの細い木が何本か生えているようなものだ。バックホーのウィンチが引き上げられるのは1㌧までだそうだ。

その後、4mごとに刻んで引き上げることになった。それでもなかなか引き上げられず、滑車を2個にして引き上げることにした。どんな原理か忘れたけれど、2個にすると力が半分になる。というようなことを思い出した。

そうこうしているうちに16:00になった。あとちょっとやってしまいたいと思うその時に事故が発生することが多い。ということで今日はここまでとして、明日続きをやることになった。

その後は買い物をして、家に帰ってから道具の手入れをしたりしていたらあっという間に20:00になっていた。一息ついてシャワーを浴びて、ご飯を食べて寝る時間になっていた。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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