KAZUKIの雑記

青森に帰ってきて、2週間ほどのできごとアレコレ

青森に帰ってきて、2週間ほどのできごとアレコレ

3月26日(日)

15日で更新が止まっていた。久しぶりの再会が連日続いていて何かを書くよりも人とあったりすることの方が大事な時もある。人との再会がまた新しい自分に気づかせてくれる。弘前に帰ってきて居酒屋やまと(勝手にそう呼んでいる)にはよく足を運んでいる。その1回目が16日だったみたいだ。

翌日は仙台に出発することになっていたけれども、話は止まらず深夜に及ぶ。あんなに話をしたのに何を話したのかさえ覚えていない、なんだか楽しかったなというふんわりとした気持ちだけが残っていて、まぁ大事な話もあったかもしれないけれど飲んでいなかった他の二人がそれを覚えてくれているだろう。

17日 仙台レッスン初日

翌17日たっぷりと睡眠をとって、お昼ころには仙台に向けて出発。途中のサービスエリアで休憩しつつ夕方5時過ぎは仙台に到着した。レッスンの前に少しだけご飯を食べておこうということで飲食店がひしめき合う細い路地に吸い込まれるようにして入っていき、お好み焼きの看板に目が止まる。

お好み焼き、焼きそば他を注文して小腹を満たしてレッスン会場へ向かった。

12月以来の仙台の皆さんと再会してピラティス30分とサルサ60分のレッスンを妻とした。あらためて思うけれども踊ることや何か動作をすることは簡単なようでいて難しい。正しい身体の使い方を考え出すと急に動けなくなる。そもそも正しい身体の使い方ってなんだというところから考えなければ正しい使い方もあったもんじゃない。

岡田さんも言っていたけれど剣道の達人にもなるとどんなに力でぶつかっていったとしても軽くいなされてしまう。身体を上手くコントロールできると無駄な力を入れずに最小限の動きで最大限のパワーを引き出せるようになるのだ。普段自分達はあまりにも無意識に身体を動かす。足も手も指もそれぞれの人に慣れ親しんだ動きがある。

自分は人の歩き方とか動きを観察するのが好きだ。普段からぼんやりと人の動きを眺めていると違和感を感じることがよくある。そんな時は何がそうさせてるのかな?と考えてみたりする。その人自身はほとんど気づいていないと思うけれどその動きをそのまま続けたらきっとどこかを痛めるだろうなと思う。というかそういう動作になっているということはすでに何処かを痛めていたり、どこかの筋肉が弱ったりしている可能性もある。あとはやっぱり、動きなれた動作をすることである特定の筋肉だけを使っていて筋肉をまんべんなく使えていないということも言えるのかもしれない。

踊りも一緒だ。すべての動作は地面と接してる足の裏から始まる。地面を押す力は脚を駆け上がり、骨盤、背骨を介して末端へ抜けていく。骨盤周辺からみぞおち、裏に回っては肩甲骨、背骨、その周辺にある小さな筋肉達、インナーマッスルと言われるそれらを使って骨を安定させることで地面を押す力を四肢末端まで伝える。音楽を聞いた身体がリズムを奏でるとき、地面を押し返した時に生まれるエネルギーが身体の中を駆け巡る。それが組んでる相手にも伝わるだろうし、見ている人にもそれが伝わるのだろう。筋肉の一つ一つが上手く使われる時、骨も自由に動き出し、身体はリズムを奏でる楽器になるのかもしれない。

ということでピラティスで身体の安定を意識しながら、サルサのレッスンに移っていくというのはこれからもやっていけたらいいなと思う。年齢を重ねていけばなおさらそう思う。スマホを手にした自分の姿を想像できるだろうか、頭は下がり、背中は丸まり、肩甲骨は外側に開いて両肩がどんどん前に出てくる。そのうちに腰も丸まり、僕らは四つん這いのころのような骨格になってしまうかもしれない。便利なスマホを片手に身体はそれに合わせて進化したというのか、退化したというのか今の僕には分からない。バス停で待つ人達や、電車の座席に座る人々は自分の姿勢に気づいているのだろうか?

もしかしたら、そこになじまない自分が退化していると言われるときが来るのかもしれない。

レッスンを終えて仙台に引っ越してきた「姉さん」のお家に泊めてもらうことになった。新しい家はどうやら歪んでいるみたいで「長く住んだらどこか具合悪くなりそうですね笑」と医者の彼女にたいして体調を気づかってみた。

18日 仙台レッスン 2日目

次の日は午前中にピラティスとサルサのレッスンをして、午後はショーのためのレッスンをした。レッスンが終わって夜にはビストロバンディードへ。

20:30ころまで踊ったり、ご飯を食べながら過ごして一足先に帰る。お風呂に入ろうと妻が探した銭湯に向かうと怪しい雰囲気に包まれた場所に着いた。ホラー映画のワンシーンにでも出てきそうな入り口。

面白い作りになっていて、一旦2階で受付をして脱衣所で洋服を脱いだらお風呂場へつながる階段を降りるという不思議な作りだった。

お風呂に使って汗を流して、妻の運転で前沢サービスエリアまで移動してそこで一泊。

19日 五所川原にて懇親会スタイル サルサパーティー

朝は気持ちいい晴れで高速道路とはいえ空気が澄んでいるような気持ちにさせてくれる。

軽く朝ごはんを食べて、弘前まで戻る。

19日は五所川原でレッスン&パーティーが夕方からある。少し休んで準備を整えて会場へ向かった。新しく始められた方々がいてレッスンにも力が入り思いのほか長くなってしまった。皆の集中力はお構いなしに教えたいことがたくさん出てきてしまう。悪い癖だ。お尻がつまっていてもギリギリまで粘ってしまう。

ちょっと長くなったレッスンで疲れてしまったのかその後の夕ご飯タイムが長くなった。途中からようやく踊り始めた。パーティーと言うよりは懇親会というほうがピッタリだったかもしれない。懇親会を終えて「飲みたりないば飲ませるよ~」という一声にそれならばと居酒屋ほんわかへ。

途中でKさんも合流して話していたら時間は深夜1時ころになっていた。妻はお酒が飲めないのでいつも運転手になってしまう。なんだか悪いなと思いつつも、久しぶりに顔を合わせる人達との時間はタイムレスでエンドレス、それがハピネス。そんな韻を踏んで楽しんでも妻の睡眠は削られていく。そのしわ寄せはいずれ僕に戻ってくるのだ。それを覚悟で飲み続ける。二日酔いも辛いけど、それも辛い。飲むのはつらいよ。

ということで仙台、五所川原と3日間を駆け抜けた僕は20日(月)はただただボーっとして廃人と化していた。

21日 アリス・イン・ワンダーランド、レストラン・テラ、エストニア

21日(火)徐々にエネルギーを取り戻しつつあった。妻は女子会があるというのでエルムまで一緒に向かい、僕はラーメン街道で昼食をとり、イタトマで読書に勤しむ。弘前に戻ってきて久しぶりに本を読む時間を持てた。僕は一人不思議の国に迷い込んでいた。本を読むというのは不思議の国に迷い込むかのようなものなのかもしれない。本を書いた人の言葉をたよりにその人の考えていることの中に迷い込む。何かが分かったような分からないような、読みきっただけで本当のところは何も分かっちゃいなくて、でも読んでいる最中はその世界の中にいてそれを分かっているつもりになっている。

英語の教科書に出てきたハンプティ・ダンプティという卵のキャラが強烈だった。不思議の国のアリスの一部だと記憶していた。最近読んだ本に不思議の国のアリスをオマージュしたものがあったのであらためて読んでみようと思って読んでいた。あれ?こんな話だったの?ハンプティ・ダンプティ出てこないけどと思っていたら、どうやら「鏡の国のアリス」というもう一つの作品の方に出てくるようだ。

アリスが一人でボケとツッコミになったり、出てくる動物達やキャラに思ったことを何でも言ったり、本当に自由だ。話もコロコロとかわりながら進んでいく。まるで夢を見ている時のような感じというのがあっている気がする。今まで車を運転してたと思ったら急にトイレにいて、でもトイレのドアがどれも開かない!と探し回ってるうちに目が覚める。みたいな、夢の中の不思議でエンドレスな物語。と思っているとお姉さんの膝の上の目を覚ますアリス。そうやっぱり夢の中の話だったのだ。という話をルイス・キャロルがアリスという実在の子供に創って聞かせたというところがまた面白い。

妻の電話で夢から覚めるようにアリスと一緒に不思議の国から抜け出した。そこから向かうはレストラン・テラ。

薬膳火鍋が美味しい。青森市に来たらぜひ寄ってもらいたいお店だ。店主の慎一郎さんとの出会いは偶然だった。青森でのレッスンを始めたばかりのころに「ほかべん」で注文したお弁当を待っている時に偶然手にとったエールスポーツ青森という雑誌をペラペラと眺めていたら「イサック・デルガード」を紹介している記事が載っていた。「オイオイオイ この青森に自分以外にイサック・デルガードを知っているやつがいるのか!?」と驚いたのを今でも覚えている。かなり忘れやすい自分もあの時の興奮は今でも忘れられない。

すぐにその所在を突き止めて、訪れたのがレストラン・テラだった。そこから数年経つけれど度々訪れて夜中までおしゃべりし合う中になった。お家に泊めてもらったり、食事をごちそうになったり、おいおいそれじゃまるで物乞いじゃないか。あながち否定できない、無自覚の物乞い、それが僕の別名かもしれない。酷いやつだ。

旬のものや、新鮮な魚介を出してくれたり、旅行先で仕入れてきたもので作った料理やなんかを出してくれる。どれも美味しくて、初めてここに来た時に食べた野菜の美味しさに感動した。今はその美味しい野菜が手に入らなくなってしまったらしくとても残念だけれど、他のメニューはかわらず美味しい。

この日も話はまた深夜まで及ぶ。宇宙人的な感性(宇宙人がどんなものかも知らずに)が共鳴するのか、話はめちゃくちゃだ。自分は普通の人だと言っているけど「いや信じられない」とか言い出して「いや慎一郎さんの方が宇宙人だと思うよ」と言ってみたり、僕が木こりになるいきさつを妻とのひと悶着を含めて話していると「エストニアだとこれが普通なんだけどな~って言っておけば丸く収まるよ」とか何とか言って斜め方向の返しを思いついたり、ホントに宇宙人なのはどっちか疑いたくなる笑。

今日は浅虫の道の駅に車中泊ということでまたまたまたまた妻に運転してもらい向かう。

22日 実家へ帰省

目覚めて身支度をしたら実家のある六ケ所村へ向かう。

家へ着いてもだれもいない。そりゃみんな仕事だ。いずれ開墾しようと思っている「海の見える畑」になるであろう場所を再び確認しておく。4月からはそのための山の勉強でもある。

とりあえずお腹が減った二人はむつを目指して再び走る。下北駅前にあるふられ続けていた「駅前食堂」へ向かった。

海軍コロッケ、大湊SORA空押しだった。唐揚げ好きとしては食べずにはいられない。チャーハンと例の唐揚げを注文し妻は味噌ラーメンを頼んでいた。

味の好みは人それぞれだ。そういうことにしておこう。

その後は当然美味しいコーヒーを探す。見つけたのは大畑にある「艮珈琲」。失礼ながら大畑にこんな異空間があることに驚いた。かなり尖っている。カッコいいと思った。

かためのイタリアンプリンも美味しかった。

妻はあまり落ち着かないと言っていたがあそこは落ち着く場所ではないのかもしれない、お店に入ると大畑を忘れてしまう。あの異世界感を楽しめなければそこにいることは難しい。

お腹を満たした僕らは家へ帰って家族の帰りを待った。お母さんが「じゃあ魚政さいぐが」と言うので地元の居酒屋魚政へ。エビマヨもカニチャーハンも斜め左を行くスタイルだ。

久しぶりに集まって感じた家族の雰囲気はなんだか穏やかになっていた気がした。

うちに帰ってからは一人で飲みながらテレビを見てボーッとしていた。あっという間に0時を回って時計の針は1時に差し掛かっていた。寝る支度をして寝床に入った。

23日 再び居酒屋やまと

日付は変わって23日(木)9:00ころには出発してお昼には弘前に戻ってきた。

お昼ごはんは妻の行きたいラーメン屋さん三選の中から「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」と選ぶ。幸運にも選ばれたのは「麺喰厨房EVO2」通称エボツー。ここの鶏白湯ラーメンと担々麺が絶品だ。

かわらぬ美味しさを味わい、生きていることの幸せを噛みしめた。その日の夜は再び居酒屋やまとへ。21:00までは3人で飲んでいたけれど、そのあと2時まではミッチーと2人で飲み続けた。何を話したのかさえ覚えぬまま。。。また妻の睡眠時間を奪い、迎えに来てもらう。

24日 あのころのサルサ仲間のままで

寝る前に日付が変わる生活は続く。24日(金)今日は15年らいのサルササークル仲間、あの時サークルを一緒にやってきた人達と久々の再会。連れてきた子供達と一緒に遊びながら近況報告をしたりしながらお昼ごはんを食べた。

社会人になって知り合った皆がこうして集まって話ができることが嬉しい。サルサを一緒に踊りながら、イベントを一緒に企画したりしながら、お互いを知っていった。上手いことお互いを認めあってこれたから、繋がりは断たれずに今でもこうして会って話ができる。

サルサをすることで僕は成長することができた気がしている。踊りに向き合うこと、イベントを企画することで色んな人達と向き合う、そのバランスが良かったのかもしれない。自分と他人に向き合うことで失敗を繰り返して自分が成長していく。そのいくつものステップが今も生きている。たくさんのステップを踏むことで全身は鍛えられちょっとやそっとで揺らぐことが少なくなった。それでも次のステップへ次のステップへと一歩踏み出していく。それが楽しいから。

そんな再会を楽しんだあとは再び居酒屋やまとへ。そういえば実家に帰っている間に車にスモークを張ったんだった。見事に気泡ができてしまったが、素人ながら上手くやった。

この1ヶ月の間に何回来てんだって話しだ。「良い刺し身入ったはんで食いにこなが」と誘われるものいぐでばな。ミッチーが会いたがっているといことにして妻には遅くならないようには帰ってくる「つもり」と伝える。もう帰ってくる気がないことはバレバレだ笑。

妻は妻で家でオンライン女子会がある。22:00には迎えに行くからねと言われ、約束の22:00には迎えに来た。ミッチーに「入っていがなが」と言われ、そこからまた数時間笑。今日の話題は「不邪淫」だった。正邪淫というわけのわからない単語も作り出して、最後まで不邪淫がなんなのか分からぬままお別れの時間になった。

25日 種まきの準備の準備

そして、昨日はVOの活動の新たな場所になるのか?そんな場所を視察に行ってきた。片足を食を作るということに突っ込み、もう片方はそれ以外のことに突っ込む。まだ自分では作るところまでやっていないけれど、食に支えられた身体はさらなる安定感をますと思っている。

すべての活動は食べないことには動き出さない。生命体の活動にはエネルギーが必要不可欠だ。電気、ガス、水、それらも僕らの活動を支えてくれる大切なエネルギーだ。どれも大切だけれど、食べることを奪われたならそれらは何の意味も持たないのではないだろうか?そんな食はこのまま行ったらきっと不安定なものになっていく。前にも書いたことがあったけれど、農業に従事する人の人口は減少し続けているし、高齢化している。作る人がいないのであれば、大規模化するなり、AI技術を使うなりしていけばいいんじゃないか、もしくは輸入すればいいよね。とでも考えているのだろうか。コロナや戦争でその危うさを感じているはずだ。何かに頼りすぎることの危うさを。

だからこそ自分でも作れるようになるというのはあながち間違った選択ではなかったんじゃないかと思っている。生きる為の力を付けたい、その上で人生にバラを添えたい。

大きな日本家屋で80歳になる元気なおばあちゃんと話しをしながら、福津農園の農業についても伝えけれど「信じられない」と終始言っていた笑。そりゃそうだ今までの農業のやり方とは180度違うのだから。それでもあのやり方は今後の社会を考えていくうえではとても必要になることなんじゃないのかと思っている。VOの実験はどうなることかこれからが楽しみだ。

夜はまた久しぶりのサルサ仲間とお食事会をした。妻も一緒に、ちゃんと22:00には終わって久々に日付が変わる前に寝た。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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