3月15日(水)晴れ
ここ数日を思い出しながら書いていこう。
3月13日 月曜日 懐かしい人達との再会
月曜日は一年間放置して伸び放題だった髪を切りに美容室ディアンジェへ。弘前にいたときには随分お世話になった。かれこれ10年は経つのではないだろうか?もちろん髪を切りには行っているのだけれど、世の中を切りまくる人、僕の中では哲学者・木村さんに会いに行っているところが少なからずある。
いつも驚くけれど本当になんでも知っている。林業の話をしたらやたらと木に詳しかったりw農業の話をしてもそうだ。面白いくらいに知っている。一年間研修してきた当の本人よりも詳しいときたもんだ。
まぁ色んなモノゴトを突き詰めて考えていくと似たようなところがあって美容だろうが、農業だろうが、林業だろうがサルサでさえも地下の水脈で繋がっていて掘り進めたら皆同じ水を飲むことになるのだろう。掘り進めた人同士なら分かりあえるところがある。「わだっきゃカズくんの少ない理解者だと思ってらや」と言ってくれた。いつも僕を応援してくれるし、僕の前を行くステキな人生の先輩だ。木村さんと話して自分の考えも整理されるし、自分の人生の指針が狂ってないんだなと確かめられる一つの場所にもなっている。
妻と二人でディアンジェを訪れて、二人の行く末を木村さん、と奥さんとあ~だこ~だ言いながら過ごした。
その後は大和接骨院へ。同い年で誕生日も一日違いという奇跡、彼は中里という田舎(って言ったら怒られるか)、僕は六ケ所村という田舎から、弘前という場所で接骨院、かたやサルサをやっている。ふざけだすときりがないミッチーだけれど、こと仕事にたいしてはかなり誠実でかなりの勉強家だ。知り合ってそれほど経っていないけれど何だか意気投合して、弘前にいた一昨年までは木曜の夜に身体についての勉強会をしていた。半分は真面目に半分は飲んでバカ話をしていた。
当時住んでいたアパートにも呼んで餃子パーティーをしたり、行きつけの飲み屋さんに連れて行ってもらったり、いつも記憶を失うほど飲みまくるところもまた面白い。
久しぶりだったので体のメンテナンスと思って妻と二人診てもらった。「カズくんは70点だな、まぁまぁいいんでね」と高得点。
「やっぱり外で作業してらったからだべか?」と自分が言うと「サルサば踊ってねがったはんで、肋骨も緩まねがったんでね」と。確かに先週の金曜日にサルサを踊ってからまた痛みだしてきていた。やっぱり何か一個のことをやり続けると必ずどこかに負荷がかかる。長く動き続けられる体を維持するためには時々休んだり別の動きを取り入れることが必要だ。
そして、今週の木曜日に久しぶりにやるが?ということで集まる約束をして帰った。その後はたまたま、ロコスタジオにタカさんの車を見かけてスタジオにおしかけると「あれ?なんで?!」とビックリしたタカさんと再会。ヒロロのスタバで近況報告などして少しの間話しをしてタカさんはお仕事へ。僕らは晩ごはんの食材を買いに向かった。
帰ってきているこの一ヶ月の間もなるべく美味しい野菜を食べたいなと思っている。ヒロロの地下に有機野菜などを扱っているお店があってそこの野菜が良さそうだねと妻と話をした。この間買ってきた食材がなくなったら買いにくることにした。
3月14日 火曜日 一緒に研修をした仲間と会って近況報告会 in ひまわり~ジーバ
火曜日はしらとり農場で研修の時間をすごした人達と再会。ヤマザキさんとスミさん、それぞれに昨年一年間で色んな動きがあって、11:00に喫茶ひまわりに集合した僕らは食べたり飲んだりしながら近況報告に花を咲かせていた。
あれは14:00近かったのか?定かではないけれど、店員さんに「満席になってきましたのでそろそろ・・・」と声をかけられてお店を出ることにした。まだまだ話足りないでしょということでもう一軒ハシゴすることになった。ここの側ならジーバかなということでCAFE JEEBAへ。
現在の日本に嘆いていみたり、スイスへの移住の話になったり、馬との暮らしやどんな暮らしを思い描いてるのかなんてことを話したりしながら、時間はあっという間に過ぎて16:00ちかくになっていた。それじゃあまた数年後に~なんて声をかけて再びそれぞれの思い描くライフスタイルへ近づくために修行の旅に出るのであった。
帰りに中三のジュンク堂書店に行こうとエスカレーターに乗って上を目指していると途中で見覚えのある顔が洋服屋さんの前にあった。ロコスタジオの木曜日クラスに来てくれていた方だった。「あれ、先生!」とあちらも気づいてくれたようで、僕も足をとめて話し込む。「人生の楽園」のどんな話だったか忘れたけれど、それを見たときに「先生どしてらべな~?」と思っていたという話をしていた。その時出ていた人と僕の人生が重なったようだ。
サルサクラスに通っていた人達も来週のサルサパーティーをすごく楽しみにしているらしいということを聞いた。「久しぶりで踊れるべが?」と言うので「自分も久しぶりで一緒にリハビリしましょw」と言ったところで丁度お客さんが来られて、「では来週~!」と言ってそこでお別れした。
しばらくジュンク堂書をうろついて、気になっていた本を数冊買った。愛知から読むための本を持ってきたのにこりゃ読みきれないな~と思いながらも、ま いずれ読むだろう。ついつい買い込んでしまうのだった。おまけに「中みそ」のカップラーメンを3個もらった。中みそとは中三の地下のフードコートで出している味噌ラーメンのことで、最近はコンビニとのコラボでカップラーメンを出すほどの人気がある弘前市民のソールフードなのではないだろうか。
妻は小学生のころ毎週末中みそを食べることが楽しみでしょうがなかったと話してくれたことがある。「あの甘い味噌ラーメンの味がたまらない、いっつもスープまで飲み干してた。」と言って、自分も一緒に食べに行ったことがあったけれど「この量、、、スープまでは無理だ」と上に乗っている野菜を食べただけで満腹になった記憶が思い出される。生姜とにんにくもパンチが効いてる。デパートあるあるだとは思うけれど、入り口を入って一階のフロアーは化粧品の店舗がたくさんある。化粧品のいい匂いがするはずなのだけれど、ときおり中みその匂いらしきものが漂っているときもある。これは由々しき事態なのではあるまいか、いくらソールフードとはいえそこまで進出してきていいのだろうかと心配になってしまう。世界に名だたるコスメブランドよりも地元ブランドの強さを垣間見ることができる不思議な空気が、、、いや中みそのガーリック臭が漂っている。
戻ったらもう晩ごはんだ。手土産にもらった中みその一個はその日のうちに妻の胃袋へ消えた。僕も食べたけれどちょっと薄味な気がするのは気のせいだろうか、本物はもっとパンチがある。
ようやくたどり着いた本日(15日)車の塗装と赤石家のソールフード「こばしょぐ」
振り返りが長くなってしまった。それだけ濃い日を過ごしているのか?と問われればそうとも言えない日常でもある。会った人達が濃い人達なんだな、いつの間にか僕の周りには異色の人物達がと言ったら彼らに失礼かもしれないけれど、僕の中では称賛に値する言葉だと思っている。
そんな人達をこんなに短い文章で表現すること自体が難しすぎるのだ。こればっかりは実際に会って話をすることでしか味わえない。どんなに中みその匂いを説明したところでその匂いは届かないのと同じだ。
と戻りかけそうになる時を前に進めよう。「今日しかないからね」と妻から念を押されて、今日という日は車の塗装に時間を使おうと、貴重な時間を車の塗装に使うんだと自分に言い聞かせ、朝ごはんを済ませてから塗装をするための準備に取り掛かった。洗車をして、ヤスリでボンネットを削る。とりあえずここまで済ませたら、足りないものを買うためにでかけた。
ホーマックはDCMという名前に変わっていた。豊橋ではまだカーマだったけれど、もしかしてカーマもそのうちDCMという名前になってしまうのだろうか。それぞれの地で誕生したホームセンターの名前が失われていく。なんだか寂しい。次に向かう土手町のホームワークス。車を運転していると弘前のシンボルマウンテン・岩木山がフロントガラス目一杯に広がるポイントがある。まぁ何箇所もあるんだけれど、やっぱりいつ見ても美しい、久しぶりの岩木山に興奮する。
昨日ホームワークスで見かけたステキなキーホルダーを妻に見せたくて連れてきた。
さてその後は食べる野菜がなくなったのでヒロロの地下にある「まちの八百屋 やおえん」へ。鰺ヶ沢にある「みちたる農園」昨日話しのなかに出てきた農園さんのお野菜がたくさん並んでいたので何種類か買ってみた。お味はいかに?
いるかな~?と思って3Fに寄ったらお仕事中の元サルサクラスの生徒さんを発見。少しお話をして「わたしだっきゃこっそり先生のブログ読んでらんだよ」と、いやコメントしてよ(笑)と言いながら近況報告。破天荒な自分を支えてくれる妻のことをスゲェなと言って「もう愛しかないでしょ」と「私だっきゃ無理だな」と言っていた。妻には愛だけで着いてきもらうしかない。きっとその愛に自分は甘えてるんだろうな。自分は酷いやつだという自覚はある。甘えすぎると捨てられることもあるかもしれない、まぁそうなったらしょうがないかとさえ思っている。ああほんとに酷やつだ。
買い物を終えて締めは、赤石家の定番「こばしょぐ」の唐揚げを買いに行った。この鳥がどんなところから来ているのかは想像できるが、それを知ったうえで、こばしょぐの味付けと揚げぐあいは今のところNo.1だ。
戻ってきてお昼ごはんを食べたら、いよいよ塗装開始。
何度か塗り重ねていく。車塗装用のペンキでローラーと刷毛で素人が塗ってもムラもほとんどなくスタッとキレイに塗れてしまう。お金はもらっていないがタカラ塗料をごひいきに。
側面や後ろの方も汚れているところや少し剥がれているところをちょこちょこと塗り直していたら、意外と全体がくすんでいることに気づいた。ということで全体的に塗り直しをしすることにした。3時間ほどで完成。
夕ご飯の前にお風呂に入りながらふと思った。鶏の声が聞こえない。いや聞こえるわけがないのは百も承知している。生物の音がしないことに不気味さを感じているのか、何だか寂しいような、そんな気もしている。寝る時はさすがに外も静かだった農園も日中は僕ら以外にもたくさんの生命の営みに溢れている。それらを視覚や聴覚でなんとなくだけれど感じていたのだ。
妻の寝息しか聞こえない部屋の中のこの静けさは今となると何だか不気味だ。今は鳥やヤギ、猫、犬、虫、色んな生物の中にいることのほうが何だか落ち着くんだなと思える自分がいる。妻にそんなことを話すと「鶏ロスじゃない?笑」と。
朝起きて鶏の世話をしてというのがルーティン化していたけれど今はない。これがいわゆるロスか、鶏ロスなのかおれは。
まぁここにも生命の営み、人間という生命の営みはあるのだけれど、周りにあるものが違いすぎる。人間が生活していくためには本当は人間以外の生物の営みも必要で、それは実際に身近にそれを感じられるということがとても大事なんだと思う。なぜだろう?それがないことによってなんだか物足りなさを感じている自分がここにいる。色んな生物がいることによって僕らは生きているんだと実感できる場所があるって素晴らしいことだとあらためて感じている。「ある」ことで「ない」ものに気づくだろうし「ない」ことで「あったこと」に気づける。
「幸せ」に気づく時も確かそうだったんじゃないだろうか。「あの時が幸せだった」なんてことを言う人もいる。過去がそうだとしたら、過去になるのはいつだって「今」だ。なら「今」が一番幸せなはずだ。でも「今幸せだ」と思っている人は少ない。なかなか今の幸せというのには気づきにくい。
でも僕はそうは思わない、あの時が幸せだったな、なんて思ったことがない、今が幸せだし、今が一番楽しい、これからはもっと楽しいことが待っているとさえ思ってる。たとえその瞬間は苦しいことであってもなぜかは分からないけれど楽しい思い出、良き思い出となる。苦しんでる時は幸せもクソもないと思うけれど、必死に生きることに全力を傾けることだろう。
立ち向かっても良いし、逃げても良い、そうしていることが幸せで、愚痴ってだれかのせいにして、イジケて俯いて私は不幸だと嘆くことだけはしたくない。
どんなに傷ついても嫌な思いをしても、グニャグニャと曲がって避けて回り道して、トボトボとでも前を見続けて歩いていれば誰かに出会って、また進み続けるための勇気をもらえる。
迷いながらも歩き続けていたら、面白い人達に出会ってきた。そんな人が今は周りにいるんだなと思えるだけでなんだか心強い。
「届いてくれるといいな」と思ったら、そんな歌出しの歌詞が頭の中に流れてきた。
歌詞を見てみると今の僕らに、そしてどこかの二人に送られた歌なんだと思った。
「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返して僕ら
Mr.Children「Sign」より
人恋しさを積み木みたいに乗せてゆく
・・・
似ているけどどこか違う だけど同じ匂い
身体でもなく心でもなく愛している
ミスチルスゴイ。