KAZUKIの雑記

祈ること

祈ること

1月のサルサソースとして書いたものをここにも。

年が明けてから引っ越しやなんやかんやで書けずにいたことを今日こそは振り返りつつ書いていくとしよう。

1月6日(土)

31日は久しぶりに青森の実家ですごした。大晦日は人それぞれに実家ですごしたり、アパートで一人ですごしたり、誰かと一緒に年を越して新しい年を迎えたりするんだろう。一年の終わりに「今年も終わるな~何してきたんだろう?」と振り返ったり「来年はどんなことしようかな?どんな年になるのかな?」と過去にも未来にも思いを飛ばすことができる不思議な一日。

さらには目の前にある美味しい食べものを一緒に家族でつつき合いながらテレビを見たり、甥っ子とゲームをしたり、酒を飲みながらほろ酔いで気分が良くなり普段はしないような話をしながら家族とすごす。

年のはじめにこんなことが起こるとはだれも思ってもいないし、当事者になることなんてだれしも想像ができない。自然災害というのはそういうものなのだろう。だれにでも起こりうることであるのだけれど、だれも自分の身に降りかかるとは思っていない。いつもそんなことに怯えていたら体がいくつあってもたりないだろうから、そんなふうに怯えて暮らすことには意味はないのだと思う。何にも遭遇していないのだからこんなことを思い、書くことができているってことはわかっている。

偶然にもその場所にいたことはどうにもならない、今後自分自身にもそれが降りかかることがあるかもしれない、そんなときはどうするのだろうか。当事者じゃなかった僕には何ができるのだろうかと身近で起こったできごとに対しては心が動いている。それと同時に遠い場所で起こっていることにはそれほど関心を寄せていないくせにとも思ってしまう自分もいる。

それでも思いもよらない出来事が僕自身にも降り注ぐときはあったから、同じ気持ちとはいいきれないかもしれないけれど、悲しい気持ちというのは感じられる。

僕自身は母親がクモ膜下出血で倒れたとき、病院に車を飛ばしながら、まだ死んだとは決まっていないのに涙がダラダラと出てきて、「生きてて」とただ祈ることしかできなかった。病院で先生の話を聞きながら助かる手段がそれしかないのだとしたらそれを選ぶしかない、それも100%の成功確率ではないものにすがるしかな。そんなときは無力さしか感じない。僕はこんな状況で何もすることができない、ただただ助かってほしいと祈ることしかできなかった。でもそれが唯一自分ができることだった。祈ることが僕らを救ってくれることはあるんだと思った。

幸いにも手術は成功して後遺症もなく1日後くらいには目を覚まして本人はケロッとしていた。無事に生還したからこういうことも書けているのかなとも思ったりしている。亡くなっていたら祈ることになんの意味もないなんて思っていたのだろうか?

何もなすすべがないときは本当に人は祈る。祈ることを知っているからなのだろうか?どんな宗教にも「祈る」「願う」という習慣がある。祈ることができなかったら、知らなかったとしたら、死を自然に受け入れることはできるのだろうか?

そのときになってみなければ、その感情や感覚には気づけないと、先月まで読んでいた中井久夫さんの「こんなとき私はどうしてきたか」にたしか書いていた気がする。

一緒に時間をすごしてきた人同士にはお互いの中に積もり積もってきた何かがあるはずで、一時の分かれや、永遠の分かれと遭遇するとなんだかよく分からないけど涙が出てくる。これが悲しいということか、これが嬉しいということかと、これが誰かが言っていたあれかとあとから気づく。言葉として知っているが自分が体験するまでそれには気づけないのだということがある。

父が死んだ時も祈ったけれどダメだった。ダメだったいうのはそれで命が助からなかったという意味でしかない。祈りに人の命を救う力はないのかもしれないけれど、あとになってみれば、それでも自分はだれかのために祈ったのだという、最後にできることを私はしたんだと思える力があるのかもしれない。これだけしたのだから、あきらめられる。祈りは祈っている人自身を助けるためにあるのかもしれない。もう亡くなってしまった人は戻らないのだから今を生きている私自身を助けるという力がある気がする。

それでも大切な人がいなくなってしまうというのは本当に悲しいことだ。

今一生懸命たくさんの人達が計画を立てながら動き続けているときだと思う。どんなことが必要とされて、それに対して何ができるのか、それぞれの場所でそれぞれにできることをやっている。一日でも早く日常生活を取り戻せることを祈りながら、僕はぼくができる小さなアクションをし続けることしかないなとつくづく思う。大きなことも小さなこともそれぞれに必要でそれぞれに関わり合って上手くいくのだと思う。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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