木こり日誌

新城キッコリーズ Day15 井代の森 見学ツアー

新城キッコリーズ Day15 井代の森 見学ツアー

4月21日(金)晴れ

今日は民家サミット2023というイベントの中の一つのプログラムで井代の森を案内するイベントがある。ということでゆっくりめの出発だ。お昼は盆栽センターに貢献するという口実でお弁当は作らない。まぁただ楽をしたいだけだ。

ということで盆栽ベースに到着したら田實さんから今日のスケジュールの説明があった。皮むき体験と水源涵養実験というのをやるということで、今日やることを少しだけ教えてくれた。昨日伐った木を輪切りにしたものの皮を剥くと気持ちいいくらいにスルリと剥ける。そして木の表面、皮の内側を触るとビチョビチョに濡れてるのだ。

今の時期、春から夏にかけて木(杉やヒノキなどの針葉樹)は成長する。そのために幅の広い仮道管が作られ、吸い上げる水分も多くなる。木の年輪の白くて幅の広い部分が春から夏にかけて作られる。そして夏から秋にかけて作られるのが細い線のように見える部分、違うように見えるけれど、仮道管の幅が狭くなっていることらしい。そうやって年輪と呼ばれるものになっていく。木には樹皮と木になる部分の間に形成層と呼ばれるものがあって、それが内側にも外側にも細胞分裂して材になる部分が作られていく。

今の時期水分が多くて乾燥させるのにも時間がかかるし、今は木が成長させている部分は柔らかい部分にあたり、皮も剥がれやすい上に傷つきやすい。伐り倒した木がぶつかることで立木にあたり、立っている木を傷づけてしまうとそこから菌が入ったり、虫が入ったりすること中が傷み、将来の材としての価値が下がってしまう。もちろん切り出した木も今は水分や栄養を豊富に含んでいて虫の格好の餌になる。早く乾燥させてしまうことが必要だ。

現在は乾燥の技術も高まって、自然界にはない高温で乾燥させることができるようになった。だから年がら年中木を切ることができるようになったとも言える。ヒノキやなんかは高温で乾燥さてしまうと細胞が壊れてしまい香りなどの成分が飛んでしまう。本当に良い家を建てたい、良い木を使いたいと思うなら秋から冬に切り出され自然に乾燥された木を使うことを木こりはおすすめしている。

昔は春から秋にかけて田んぼやって、それが終わってから山の仕事をしていた。木の成長サイクルを知ってたのか、自然のサイクルに合わせて人間も動いていた。年がら年中ナスやピーマンが採れる今の農業にも似たようなものを感じる。一年中、消費者の要望に応えるためといえば聞こえは良いような気もするけれど、一年中稼ぐためでもあるとも言える。旬産旬消、作物にも木にも旬があるんだと気付かされた。なんでもかんでも人間の生活サイクルに取り込もうとするから、おかしなことになってくる。だから、人間が自然のサイクルに合わせていくという感覚も必要なんじゃないのか、今はそのバランスを欠いていてなんでも人間側にバランスを傾けてきた結果様々な問題が色んな場所で起こってきているんじゃないかとさえ思う。

今日の予定を聞いて、水源涵養実験のための準備をする。

雨が降った時、森がある場合と草木が何もない場合とでどんな違いが出てくるのかという実験をするためのミニチュアを作る。近くに生えている植物を森に見立てる。

高木、中木、低木、森を表現していく。近くに生えている植物はどんな風に折り重なっているのかを観察して作り上げる。

さて準備ができたところで早めの昼食へ。盆栽センターで塩ラーメンにチャーシュートッピングで。カツオの刺身もあるよということで刺し身も頂いた。

13:00に集合した参加者の皆さんを引き連れ井代の森見学ツアーがスタート。山の頂上の方と下の方では緑の色が違いますよね。上の方は自然に近い状態で下の方はほとんどが人間の手によって植林された部分になっている。という説明をしながら進んでいく。

二人が同時に同じ量の雨を降らせる。森を模した方は水が出てくる早さ、量も緩やかで、2つパイプが見えているうちの下の方から出てくる。つまり地下水となって沢や湧き水となっていく。

一方何も生えていない禿山の方は水が地表を勢いよく滑り落ち泥を含みながら上のパイプの方から多量に出てくる。植物がなにも生えていないと地面が削り取られ、それが川などに流れ込む、さらに悪いことになれば熱海の土砂崩れのような結果にもなる。木や植物の重要性がわかる。どこでもかんでも太陽光パネルの設置場所にしてしまうことの問題点も見えてくる。エネルギーは得られるかもしれないけれど、水という大切は資源を失いかねないことを教えてくれているようだ。

実験を終えて更に奥へと進んでいく。山に入る前に山の神様に1回、2回,3回…5回(五穀豊穣を祈るという意味がある)とお神酒をあげ、2礼2拝1礼と挨拶する。そして、田實さんが森の中に通した道を歩きながら話をする。ドローンを飛ばして上空から森の中を見た時にこの道が見えないようにしたいという話をしていた。今は2mくらいの幅の道が通っている。そのくらいの幅だと木が成長して上空で枝葉を広げても丁度重なり合わないくらいで道も隠れるようになる。これが3mくらいになると空が見えるくらいにポッカリと隙間ができる。

次は沼田場に向かう。ぬたうちまわる(or のたうちまわる)という言葉あるように、イノシシや鹿が泥を体につけてぬたうちまわる場所だ。人間と同じようにシャンプーしたり石鹸で体を洗うように彼らも泥で同じようなことをする。鶏でいうところの砂浴びと同じだ。

ぬたうちまわった後は近くの木に体を擦り付けたり、角をこすりつけたりして体についた色んなものを落とす。それとどうやら、木からでるヤニを体や角につけてもいるらしい。トリートメント、化粧水、乳液みたいな感じに思えてきた。そうだよねお風呂に入ったらちゃんと手入れしないとね。ほんと人間と変わらないような彼らの行動を想像するとなんだか愛らしい。

獣害、獣害と言われて、人間にとっては大問題だけれどその問題すら人間がその原因を作り出しているのだと思う。木を伐ったら苗を植えなければならず、何も対策をしなければすぐに彼らに食べられてしまう。そのためにその周囲にネットを張って近づけないようしてしまう。というか国でそうしましょう推奨している。そうすると、その場所には近づかなくないり別な場所を求めて移動する。日本全国で同じようなことが行われたら、あいたスペースに移動するのが普通だろう。追いやられた彼らはどこかで新しい仲間と出会い、子孫を残していく。イノシシが増えた鹿が増えたと言ってはいるがだれのせいなんだろうと思ってしまう。

人間も田舎には仕事がない、食えないと言って都会に移動してお金を稼いで食べて遊んで、新しい出会いがあり、子供が生まれて、他の動物に害を与える。他の動物はもしかしたら「また人害だよ、困っちまうよ」なんて人間と同じように嘆いているかもしれない。彼らの僕たちの違いなんてないんじゃないのかとその境が曖昧になっていく。

この森を利用しているのは人間だけではない、彼らのものでもあるのだからどうやって共存・共生していくのかという視点がかけていてはやっぱり何も解決していかない。

そこから移動して、杉や檜の赤ちゃんが生えている場所にやってきた。人間が植えた苗は食べられてしまうと言ったけれど、自然に生えてきたものは食べられていない。なぜなんだろう?まだ他に食べるものがあるから?人間が作った苗は肥料たっぷりで栄養満点で美味しいとか?自然に生えてきた子達はその場で生きられるだけの特別な何かをもっている?

親が近くにいるうちは、子供たちは上手く成長できないらしい。何かホルモンの関係でそうなっているらしい。福津農園の肉桂の巨木が台風で倒れた時の話を思い出した。それまでその肉桂の周りには肉桂の子供は生えてこなかったのだけれど、台風で倒れた後からその側に肉桂の芽がたくさん出てきたという話だ。どうやら親がいるうちは芽を出さないようにしていて、いなくなると成長するようにプログラムされているようだ。たしかに親がいるうちは太陽の光も少ししかもらえないだろうし、栄養も親の方に多くを取られてしまうかもしれない。だから親は危機的な状況になるとなんらかの合図を出すのかもしれないし、子供たちが親の危機を察知するのかもしれない。

人間も親から離れて初めて大きな成長を始める。親が近くにいるうちは甘えてしまうものだ。みんな一緒だ。

最後は朝にやった皮むきを参加者の皆さんに体験してもらう。みんな実際に濡れている木を触って驚いていた。

実際の作業とは別でこうやって山のことを知れるこはすごく楽しかった。それが根幹にありつつも実際の作業はストイックに行われていく。伐るだけ、考えるだけの人はたくさんいると思う。そのどちらもできる人というのがこれまたまれなことなんだ。本当の林業とはどっちも備わっていないとできない仕事なのだ。松沢理論でいくと農業の本質とは「エネルギー獲得産業である」だった。林業の本質とはなんなのだろう?その問いに対する答えを今の僕は持っていない。自分の行っていることの本質を問うということは大事なことかもしれない。サルサの本質について考えてみたくなった。

さて15:00にはツアーは終り、その後は温泉に入って帰宅。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

-木こり日誌
-, , ,