KAZUKIの雑記

サルサソース ZINE #001が発刊された

サルサソース ZINE #001が発刊された

先日、福津農園での研修で思ったこと考えたことをメインに書いていたコラムがまとめられて手作りの本になった。WORKSHOP VOのWEBサイトで月一回書くことになっているコラムなのだけれど、こんなに書くことを続けれられるなんて思ってもいなかった。このブログは自分の今の活動の日誌をつけるという形をとっている。それも自分がしてきたことがいつでも参照できるようにと思って始めたものだった。

自分が聞いたこと思ったこと考えたことがメインになっている。たまに聞き間違っていることもある。サルサソースの一部も間違っていたしw 一応読者は数名いるとはいえ、読者を意識せずに自分の日誌というスタイルをとっている方が何かと書きやすい。何か上手く書こう、何かを教えてあげようなんて考え出すと、間違いがあるかもなんて思って何もかけなくなってしまうから、今のスタイルがしっくりくる。ブログには広告をつけるというのが一般的だけれどそこは排除しようというのも始める時に決めたことだった。その方が気楽だし、思ったことを気にせず書ける。お金にするために書いたもののほうが価値あるものかなんてそれはわからない。だれも見ないものだとしても自分にとっては価値ある宝物になりえるかもしれない。

とくに自分は忘れやすい、というか今と前しかみていないふしがある。だからあまり過去のことを思い出したり、思いでに浸ったりはしないように思う。次の楽しいことを考えている方が好きだし、ワクワクする。もちろん今やらなきゃいけないことに過去の経験が必要だと思ったら思い出したりしながら臨んでいく。

本を書くとか20代の時に言っていた(思っていたのか)ような気がして、それが今形になった。これを本と言ってよいのかはわからないけれど、一応本みたいな形をしている。けっして学術的もないし、本屋さんに並んでいるような本とは比べ物にはならない内容かもしれない。ただ個人の感想がひたすらに並べられているものなんじゃないかとは思っている。こう思った、こう感じた、考えた。それがどうした。という感じだろう(笑)それでも一つ一つが自分にとっては驚きと新しい出会いだったのだから自分にとっては価値あるものであることはたしかだ。

書くことは語ることに似ている。似ているけれどまた違うものだとも思う。書くことは自分との対話になるのだろうか、自分に語らせ、気づきを促していく。自分の中からどんなものが出てくるのか、これは自分が書いたのかと、どうやって書いたんだろうと思うこともある。だれかと語りあうことは自分になかったものを聞くこと、本を読むことに近いのかな?

それを聞いた自分の中に何かが湧き出る。それをまた相手に返して、相手の中に何かが湧き出る。それを受け取ってという循環を重ねて何かが繋がっていく。みたいな。

自分と語り合うことも、他の人と語り合うことも、自然と語り合うことも大切なことだ。

こうして書くことは、だれかと対話してることにもつながるかもしれない。と考えるとこの一つひとつのデジタルなデータの塊も循環していっているように思えてきた。エネルギーを使って表現されているのだから、今目に見えているものすべてがエネルギーをもっているとしたら、それは回り回っていくものなのかもしれない。

サルサソース ~福津農園で百姓になった一年~はWEBでも読めるし、どうしても紙で持っておきたいなと思う人はWORKSHOP VOのホームページからどうぞ。とここは読者に語りかけている矛盾。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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