4月4日(火)晴れ
目覚ましがなった時にはなかなか起きれない。もう少し身体が今のリズムに慣れる必要がある。
今日は土場に集合して薪割りからスタート。昨日少し作業してできた薪。
薪割り機1号、と勝手に名前を付けて、こいつは200kgあるらしく小屋から作業する場所まで連れてくるのがなかなか苦労する。自走してくれたらいいのにと思いながらも、こいつを50mくらい離れた場所まで引っ張っていくことで僕の身体はまた一つ鍛え上げれる。
後ろに積み上げられた丸太を少しずつ崩しながら作業していく。積み上げられた丸太の端が垂直に近くなっていくと勝手に崩れてくる危険があるため、そうなる前にわざと崩してなだらかにしておく。崩した丸太が転がりやすいように地面に転がっている木っ端などを片付けたりしながら、先の先の先を考えながら作業していく。いつも危険と隣り合わせの仕事だから、こういう小さな作業から予測する癖をつけていく。
他丸太よりも太い丸太が転がっていた。天然木で時計を作っている「ツインハーツ」という時計屋さんが何十個か持って行ってくれた。薪として燃やされてしまうより、何かの形で残り、それが誰かの手元に届く。薪としてエネルギーになることも、人の側で見守り続けてくれることでエネルギーを与えてくれるものになることも、どちらも必要なことだ。
ここでそんな話を聞きながら、丸太の体積の図り方を教えてもらった。丸太はその体積に取引されている値段(?)をかけて丸太の売値が決まる。体積のことを立米(りゅうべい)というのか、1立米あたりいくらいくらと決まっている。
直径×直径×長さ = 立米
木が伸びていって上に行けば行くほど細くなっていく、そっちの細くなっている面を末口という。根本の方は元口。その末口の直径を使って計算する「末口自乗法」という計算方法が使われている。
薪にするといくらで、時計の材料として売れるとこれぐらいになってと、どんな風に会社としてお金を回していくのかも考えなければ木を切ること自体危うくなってしまう。
小さな会社だからこそそういう話も聞ける。有り難い。
話を聞き終えて薪割りを開始、今日はこの大物達から片付けていく。かなり太い丸太は一度チェーンソーで半割、4つ割にしてもらってそれを薪割り機に乗せていく。40cmくらいのものはそのまま薪割り機に乗せる。
そんな時に役立つのが片手トビ、これを使うと丸太が自由自在、、、とまではいかないけれど、思ったよりも力が入る。
途中で休憩しながら、シバケンさんが長い丸太を1mずつに玉切りしているところを見る。
となりでもまた別の方が薪割りをしていて、そちらにも見学に行った。そこで「薪割りどう?」なんて聞かれて、まだどういうやり方がいいのか考えながらやってますと言うと「丸太は立たせたら勝ち」という格言を聞いた。立たせたら勝ち、面白いなと思った。「立たせて頭押さえたら、ほら簡単に寝るでしょ?」とスルスルと丸太を機械の上に乗せていく。おーそうやってやればいいのかと目を丸くした。
あともう一つはトビに頼りすぎないとも言っていた。トビは刺さりが悪いとすっぽ抜けることがある。薪割りではまずは丸太を立たせる。それを試してみたら確かに無駄に力を使って持ち上げずにすむ。色々と試してみないとね。
と作業をしているとあっという間にお昼になった。妻が作ってくれたおかずに自分で詰めた白飯、これから毎朝お弁当を作って貰うことに感謝。ありがたや。
お昼休憩をとったら午後は近くの家で栗の木を剪定して出た木を山に持っていく作業をした。福津農園方式を知っている自分は少しもったいないなという気持ちになった。この枝も木の根元に刻んで置いておいてあげればまた栄養になるだろうに。
作業はこれで終わり、作業小屋に戻って今後の予定を確認した。タジーさんが一枚の書類を持って来ていて、4月1日から木を切るのがまた一段と難しくなってきたという話しをした。木を切るために提出する書類の数や確認しなければならないことが増えたということらしい。それも、ソーラパネル設置のための違法伐採や皆伐を防ぐためということだ。
大きな会社になると木を切る人、切るための書類を作る人とに分かれている。書類を作る人は現場を見ていないので、現場に行ったらこんなところを切るんかい!!となる。逆もしかりで切ることだけしかやっていないと、許可をもらったりなんだりの苦労も分からない。今お世話になっている新城キッコリーズは小さな会社だからこそその両方をやらなきゃいけない、だからこそ普通の会社では学べないその両方を学ぶことができる。タジーさんを見ていると事務仕事をやりながら現場作業もしてと、とてつもなく大変そうに見える。そんな中で自分を雇い入れてくれたことに感謝せずにはいられない。
帰りにカーマに寄って道具を入れるものを買ったりして、農園に戻った。
今、農園は大根の花が咲き乱れている。いや先狂っていると言ってもいいぐらいだ。結構採ったはずと思っていたのに。
玉ねぎも大きくなっていた。
剪定した柿の木達の様子も見てみた。ほうそんなところから芽が出るんだねと最初の年に剪定させてもらった時とは違う気持ちで見ることができた。この枝は残そうと思って残した枝でも何も芽が出ていないものもあって、それは枯れている枝だった。それを残して生きるはずだった枝を切っていたかもしれない。
薪割りでけっこう身体が疲れていたらしく、すでに眠気に襲われていた。