百姓日誌

福津農園 Day289 柿の木の苔落とし、落ち葉集め

福津農園 Day289 柿の木の苔落とし、落ち葉集め

2月20日(月)晴れ

朝読から鶏のお世話を経て、今日は柿の木の苔を落とす。

作業しながら色々と考え事は浮かぶもので、あんなことやこんなことを思いながらあんでもね、こんでもねとカズA、カズBどちらかの意見に偏りそうになる自分(自分はC?)の中のカズ達と対話を続けている。明日は政満さんの講演会があるので自然と「共生」のワードが頭を占めていた。

作業している最初の時は苔が柿の木に取り付くように共生しているのかと考えていた。木から栄養をもらって、言い方を変えれば奪っていて木の方がどんどん弱っていってしまっている印象を受けた。

木はある免疫力みたいなものを持っていて自分に害をあたえる虫などが取り付きそうなった時、「木の声」を発してその虫の天敵を呼んで駆除してもらう。ウィルスなどの微生物などによる病気もある程度は自分の免疫力で退ける力が備わっている。動けないからこそ他の生物の力を借りたり自分の免疫力で降りかかる困難をしりぞける。

では苔が「木」という住処に住むのはなぜなのか?逆に木が苔を住まわせているとも言えるけど、もし栄養が持っていかれるだけだとしたら木は苔を退けようとするんじゃないのか?そう考えると苔は木に対して何かしらの賄賂を渡して住まわせてもらっているんじゃないのか?

と考えながら人間で言うところ垢のような、古くなった木の表皮の角質を草掻きでこそげ取っていく。

「痒いところはないですか~?」

「あ、その二股に別れたところが痒くて。それと去年切られたところがあるでしょ?えっとこの二股に分かれた先の少し太めの枝の裏っかわの、ちょっと盛り上がっているところ、その周辺も痒いね。ゴリゴリやってくれる?」

と垢すりをしている気分になる。幹や枝が大きくくねっているところなんかはまさに肩や肘、太い幹は太ももだったり、大きな背中を思わせる。

苔も人間や他の生物と一緒で増えよう増えようとする。これもエントロピー増大の法則か?増え過ぎればいつかは木の栄養を奪いすぎてしまい、住処自体を枯らして自分たちの居場所を失うことになってしまうんじゃないのか?まぁそうなれば木が腐ってまた他の生物が生きやすい環境になって苔の住処だった場所は新たに他の生物の居場所になる。

それでも共生という視点から考えるなら今考えていることはただの略奪、木を侵略していってるような感じにしか見えない。共生からはほど遠いような気がして何だか煮えきらずにいた。年遍も角質を削ぎ落とているうちにまた違った見方が訪れた。

垢は古くなった角質で不要なものだ。洋服に擦れたり垢こすりで落としたり、引っ掻いたり何かに触れたりする時に人間の身体から少しずつ離れていく。柿の木の垢すりをしているうちに自分が落としているのは古くなった表面の不要な皮だということに気づいた。それを剥がすとその下にはキレイな白っぽい肌が見える。苔が取り付いている剥がした皮をよく見るとそこだけには根が張り巡らされているけれど、その下のキレイな肌の層には根を食い込ませたりはしていなかった。もしかしたら根の先は触れていたかもしれないけれど。

そう苔が利用していたのは木の新陳代謝から生み出された木にとっては不必要なものだったのだ。ということは自然界において木は自分で体を掻きむしったりできないし、サウナに入って皮膚を蒸らして垢すりをしてもらえないのだからその垢をだれが落としてくれているのかというと苔なのではないかと。

古くなった角質には苔にとってはまだ利用できる栄養が残っていて、それを使い切ることで朽ちていく、そして雨や風にさらされたりしながら地面に落ちてまた他の生物に利用されていく。

栄養を奪っていたのではなくて、不要なものを利用してくれる重要な役割を果たしてくれていた。木と苔の営みから少しだけ共生するとはどういうことなのかのヒントが得られたような気がする。そう考えるとこの苔落としは必要なことなのだろうか?と思ったりしてくる。

自然の中では条件さえ整えば木はだれにも切られることなく伸び伸びと成長していく。人間の収穫しやすさに合わせて切られてしまっている木は伸びるために蓄えた栄養のやり場に困ってしまっているとも言える。その栄養が身体に蓄えられることで、それを狙って虫たちが先ほどの角質と新しい皮膚の間に入り込んで幹自体を食べてしまうこともある。

もし伸び伸びと成長できていたなら、そんな虫ころを追い出すことも可能なのかもしれないし、その体でかすり傷と思って悠々とそこに立ち続けることもできるのかもしれない。

きっと共生はいろんなところで見られるはずだから、目を凝らして見ていかなくちゃいけない。人間同士の共生も危ぶまれているこの世の中、というか常に共生・共存の論理はないがしろにされている。政満さんの言われている排除の論理が横行しているこの世の中が変わるためには自然の営みからのその中から共生・共存・共栄とは何なのかを学び取ることが必要なのかもしれない。

と、作業しながら思いついたことをつらつらと書いてみた。そういえば途中で木に包み込まれてしまったマイカ線を見つけた。なんだか凄いけど、大丈夫なのか?と思ってしまった。

もうこの写真だけみると地面に上半身を突っ込んでる人にしか見えない。柿の木なんだけど。

とそんなところで午前中の作業を終えてお昼休憩へ。

午後は落ち葉を集めに近く山に一輪車を押して向かった。

落ち葉を集めて米袋に詰める。

20袋くらいの落ち葉を集めてもどる。

少し暗くなりかけた頃、鶏2羽しめた。自分が掴んでいた雄鶏の足が震えていた。また共生とはなんなんだろうと頭をよぎる。答えはあるようでない、考え続けることが必要なんだと思う。

久しぶりに冷え込んできた夕方の空気で手がすっかり冷えてしまった。薪を準備してストーブをつけよう。そう考えるだけで少し体が暖かくなるような気がした。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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