3月7日(火)晴れ
今朝も早めの目覚め。
月曜日の日誌を綴っているとまた色々と出てくるもんで(だもんでは愛知?三河の方言)、朝ごはんの間際まで書いていた。
今日はここ福津農園から来るまで10分ほどのところにある豊橋有機農業の会の農家さん正木努さんとさなえの農園「SANAE & TSUTOMU 有機菜EN」へ見学を兼ねて農作業のお手伝いをしに行く。
1年間朝市でご一緒させていただいて毎週10種類以上の野菜を持ってこられていてどうやってるんだろう?驚くと共に疑問に思っていた。その現場を訪ねてみたかった。
訪ねてビックリしたのはお二人だけでほとんどの作業をやらているということだった。営農20年弱ということで、お二人共栃木県の「帰農塾」というところで研修されていた。
自分達が見ていた落葉樹やヤギの小屋、鶏舎が立ち並ぶステキな場所はここ最近6~7年くらいでできた場所だった。開墾して木を植えたり、小屋を建てたりとなんでも自分でやってしまうお二人の生きる力を感じた。「100万円の家作り」という本を読んで小屋を建てたりしていったということで、あとで買って読んでみようと思った。
しらとり農場のカツさんを彷彿とさせる背格好と雰囲気、なんでもやってしまう人の雰囲気というのは何だか似ているのかもしれない。
午前中は里芋の種をとるということで、畑に残っていた株から良さそうな里芋を1000個選びだした。そう来年1000個植えるということだ。1000個もか!と一瞬驚いたけれど、週3回どこかしらへと野菜達をお届けしているらしく、今日もくらしを耕す会の会員さん35件ほどの野菜セットを準備していた。一個の里芋には何個芋が付くんだろう?多くて10個?かそれ以上、全部食べられるわけではないけれど10個で考えても10000個くらいにはなる。そしたら、そのくらいの種を播いておくのは普通なのかもしれない。
福津農園にきて冷凍以外の里芋を初めて食べてすっかり里芋好きになってしまった僕ら夫婦、里芋は育てたいなと思っている。そのくらい里芋は美味しい。
里芋を取り終えたら、ハウスを押さえている古くなってきたマイカ線の交換作業をした。そんなところでちょうど12:00、休憩時間になった。昨日の朝市で買ったパンを食べて昼寝をして13:30から午後の作業開始。
鶏の餌やりと水を替えて、卵を集めたら、種まき。枝豆とトウモロコシの種をセルトレーに播いていく。
種まきが終わったら、大きくなってきていたエンドウに棚を作っていく。いつも通っていた県道沿いの畑が努さんの畑だった。
棚を作り終わると17:30今日はこれで終わろっかということで本日の作業は終わった。暗くなってからは作業はやらない、けれども朝は日の出とともに作業をするということだった。朝は気持ちがいいそれは自分も一緒だ。例えばこの日誌も朝書くほうが調子がいい、その文が良いか悪いかは置いていて。そんな感じで自分も朝作業したい派の一派だ。
作業をしながら色んな話をした。またここにもとてつもなく面白い人がいたのだった。どんな人でも自分にはない経験をしているのだからだれでもきっと面白いはずなのだ。自分は、その人自身が色んなものを選び取ってきたきた人に面白さを感じているのかもしれない。という自分は時々、「海風 気まかせ 波まかせ~」とビンクスの酒の歌詞のようにどこか他人まかせなところもある。合理的、効率的であることが必要なときもあるかもしれないけれど、何かが滑り込む余白も持っていたい。ここまでやったらなにかにまかせる。あとは自然にまかせる。
いろんなものに触れるたびに自分達は先端に近づきすぎることがあるけれど、その反対側にも目を向けなければいけない、その間を探し続けること、その淡いを行ったり来たりしながら常にバランスを保ち続けることが必要なのかもしれない。先端が細くなり尖れば尖るほどにそれを支える末端の大事さにも気づいてくる。
ナタで木の枝や払うことができるのはシッカリとした柄があり腕の力が刃先届くからである、でも柄だけしっかりしたところで刃の部分が錆びたり、刃がボロボロでは何ものも切れない。だからナタはは両方が上手く機能することでナタとしての力を発揮する。
人間社会を機能させるのもどちらか一方に尖りすぎることではない気がする。
色んなものの間を考えられる人、どちらも良いとこ悪いとこあるよね、じゃどうしよっかと考え続けることができる人が増えることが機能する社会を作っていくのかなとも思う。尖ってても、それを支えるものが何なのかを見れること、支えていたとしても尖っていることも必要なんだと思えること、か。
帰りはヤギさんに見送られて。