3月8日(水)晴れ
朝はいつも通りに起きて、朝ごはんを頂いて鶏のお世話をした。そして、出発の準備。今日から寄り道をしながら青森へ戻る。車に必要な荷物を積んで、部屋に残していく荷物はまた違う部屋へと移動させる。有り難いことに4月からもお部屋を貸していただけることになったのでそこから仕事へと通うことができる。
荷物を移動し終わってお昼ごはんに自家製味噌を塗ったおにぎりを食べていよいよ出発。13:00から新城☆星農園を見学しにいくことになっている。先日行った梅の里へ行く少し手前に星さんは暮らしている。
到着して早速作業のお手伝い。種まきと草刈りをして、少し車で走った場所にある畑へ向かった。そこでニンジンの草取りする。作業しながら色んな話しをした。星さんが考えていること、自分が考えていること、他の人が考えていること、考え方は星の数ほどあり、どれがいいか悪いかと簡単には分けきれないものばかりだ。
これが正しい、これが正義だ。と自分の考え方の正しさを主張しだすとそれに合わないものすべてが悪になってしまう。自分のやっていることが正しそうな感じがしたとしても、自分が果たしてその反対の立場の人達のやっていることを悪だと糾弾することはできるのか?自分達はかれらが生み出したものを享受していることもある。
正義を振りかざすその時、それらがあるお陰で生活することができている部分もあるということを忘れている。自分達の生活の大部分は世界と繋がっている。分断だなんだと言われれようがこの世界は分かち難いほどに繋がっている。
思考は飛んで、高速道路を運転しながら山が削られているの見かけた。削られた山は車が走るための道路になったり、建物を建てるための資材になったりする。特定の鉱物やなんかは化粧品になったり、自分達の身を着飾るジュエリーになったりもする。削り取られていく山を見て危ないなと思いながらも、その山に僕らは支えられている。その仕事をする人達が生み出すものを僕らも享受している。
だからある一面を見て悪だの正義だのと言うことは簡単にはできない。どこかで僕らもその恩恵に預かっている部分があるはずだから。それでもこうやって行ったほうがいいよね、こんな世界になっていったらいいよね、こんな世界になるためにどんなことを考えていったらいいんだろうね?と議論は始まっていくんじゃないだろうか?正義と悪に分けるところから始めてしまったなら終わりのない平行線が続いていく、最たるものは戦争か?お互いにもっている正義と悪、我々は正義で彼らは悪なのだと双方が思っている。
国家と比べたら小さな組織や個人間でも似たような争いが絶えない、国家を構成する個人も似たような考え方を持つ人が多いのだから当然そうなってしまうのかもしれない。だからこそ小さな僕らは考え方や行動がどうあったらいいのかを問いながら動き続けていくことが必要なんだと思う。
ニンジンの草取りから、違う畝へとジャンプしてしまった。草取りが終わる頃には陽も沈み始めて、星さんは用事があるということで作業は終わりとなった。帰りにこれから管理する一軒家を見せてもらった。広い畑に古民家、研修生が住むために家になるのか農作業を手伝いに来てくれた人達が泊まれる場所になるのか、色んなことができそうな場所だった。
先日の小山田さんの問「どうやって僕らは共に生きるのか?」がしっくりくる。僕らが生活している時、それを生み出す人がいて、それを届けてくれる人がいて、様々な人と繋がり合っている。天秤の片側のお皿の上にいる僕らは目の前にあるものや、楽しさや幸福を享受できていると思う時、反対側のお皿の上にも何かが乗っていることを忘れてはいけない。けっして空っぽのお皿がそこにあるわけではなくて片側とバランスを取るために何かが乗っているはずなんだ。
山が何か変わったように、この世界、地球にあるものは減ることも増えることもない、形を替えて存在し続けている。亡くなってしまった人の肉体は燃やされて気体になってどこかを漂っているかもしれないし、再び大地に戻ってきて他の生物の活動の一部となっているかもしれない。作られ捨てられていくゴミやなんかも元々はこの地球上に存在していたものだ。何万年、何千万年かかけてまた何かしらに戻っていくのかもしれない。
今ある資源を使い尽くすことで人間が生活することが難しくなるかもしれないけれど、地球上にあるものは時間をかけてもとに戻っていくのか新たな何かを生み出していくのか、変化と生滅を繰り返してとどまることはない。
そしたら何でもかんでもしていいかというとそうではない、世界が終わる!もう死ぬんだから何でもしていいんだと狂ってしまう人間になってはいけない。まぁだれも明日世界が終わるなんて思いながら生きている人なんていない。いつもと変わらない日常が訪れることが当たり前かのように生きているのが普通だ。
グッドアンセスターという本をまだ途中までしか読んでいないけれど次の一文がある。
ソークは自らの人生哲学を、「私たちよき祖先であるだろうか」というシンプルな問いで表した。我々が過去からたくさんの豊かさを受け継いているように、我々も子孫へと受け渡さなければならないというのが、彼の信念だった。-ローマン・クルツナリック著『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』
より良い自身の人生を生きることも大切だし、それと釣り合いをとるように「よき祖先」になることを考えながら生きることも大切なことかと思う。
星さんちも過去の人達が残してきた家や田畑を使って生活している。使うこと残すことを考えながら生活は続いていく。
星さんとお別れして一路大阪を目指す。
地球の長い営みによって作られた石油を燃やしながら走るのである。そして鈴鹿SAで一夜を過ごした。