木こり日誌

新城キッコリーズ Day108 木の形も価値観も色々

新城キッコリーズ Day108 木の形も価値観も色々

9月13日(水)

先週やっとこさ日誌を更新して気づいたらもう一週間が経っている(今これを書いているのは9月19日火曜)

この日は午後に宮大工の棟梁が田實山に立っている木を見に来るということで林内に残っていた丸太などを出していたと記憶している。

曲がっていてもド太い木がある。市場に持っていくと交換価値としてはほぼ価値なしなのだけれど、宮大工にかかればそんな木にも価値が出てくる。そのものにどんな価値を付与するのかは人それぞれで他の人が価値のないもんだと判断しても、それには何らかの価値を見出すことはできるのだろう。眠っている価値、木の価値とは何なんだろう、森の価値、山の価値、僕らが「価値がある」という時、それはお金に換算した価値をイメージしていることがほとんどだと思う。

人間にとっての価値なのか、地球にとっての価値なのか、なにものにとっての価値なのか、価値への視点をどこにもっていくのかでも大きく違ってくる。

少しだけ聞いた話だと、立っている木を見て図面を引くと言っていた。立っている木がどんな家になるかを決める。ある程度こんな建物という想像あるだろうけれど、立っている木からさらにインスピレーションを得て、遊びが加わり、思い描いていた建物のイメージが変わっていく。宮大工さんが作る家というのは、余白があるということだ。遊ぶためには木のことを知り尽くしている必要があるだろう。こんな曲がりならこんな用途やあんな用途、引き出しがあってこそインスピレーションは得られるのだと思う。

まだまだ足りない林業のインプット、そりゃそうだ言ってもまだ半年も経っていない、続けることである時インスピレーションは訪れる。淡々と続けながら、訪れる何かを嗅ぎ取ってキャッチする。それだけなんだろう。

棟梁に山の中に入ってもらって木を見てもらい、この木で建てたいという言葉をもらった。100年は経っている木もそういう人に貰われていくのは幸せだろうか。どこの山で育ち、だれが伐ったのかがわかり、だれが建てたのかが分かる。家というものにはそういう物語も必要だ。住んでからの物語ももちろん大切なものだろうけれど、生まれた物語もあればなお面白い、そうやって色んな思いが繋がっていく、それが地球の物語。

終わったあとは盆栽センターのおばちゃんに「赤石くん甘いもの好きだら?」とどら焼を頂いた。ちょうどお腹が減るこの時間には最高のご馳走なのだ。「冷蔵庫に入ってるコーヒーも飲みん!」とアイスコーヒーとともに頂いた。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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