KAZUKIの雑記 百姓日誌

福津農園 Day221 大豆の収穫、玉ねぎに鶏糞、ジャガイモの草刈り、キュウイの収穫

福津農園 Day221 大豆の収穫、玉ねぎに鶏糞、ジャガイモの草刈り、キュウイの収穫

11月27日(日)晴れ

今朝は早起きして朝ご飯の時間まで水曜日からの日誌を書いた。

朝ご飯を食べて鶏のお世話へ。水を替える。

緑餌用に大根を間引く。

それと池のホテイアオイも取ってあげる。

キノコ棟Bの若い鶏達がたくさん卵を生み出してきた。

鶏のお世話が終わったら、山田の残った大豆を収穫する。

大豆をすべて収穫し終えた。またすっかり何もない状態に戻った。

戻ってきて玉ねぎに鶏糞をあげる。列の間と一番外側に手に握った鶏糞をサラサラと落としていく。

植えた直後はぐったりしていた玉ねぎも雨が降ってシャキっとしてきた。

次は多目的小屋脇のジャガイモの周辺の草刈り。

草刈りをしながら話をして皆色々と悩みを抱えているんだなと思った。自分の老いと能力低下だったり今やらなければいけないことがあるんだけど何だか腰が重くて動かなかったり、よく分からないけど気持ちが沈んだり。ホルモンのバランスか、心が疲労しているのか、様々なものの影響を受けて現在がある複雑に絡みあった色んな原因が考えられると思う。

そんな話を聞いて思う。自分はなんであんまり悩んだり、明日が憂鬱になったりしないのかな?確かに今は悩むことなんてほぼない。何とかなるさと根拠のない自信を持っている。でもそれはなぜなのかな?

社会に出て初めてやった仕事、自衛隊を辞め時、辞めた後というのはとても不安な気持ちを持っていたように思う。自分は何ができるんだろう?どんな能力があるんだろう?そもそもそんなもの持っているのか?何かをやりたいけれど、それが何なのかが分からない。今でこそ分からないことに面白さを感じられるけれど、その当時はどんな自分になりたいか分からない、分からないことには何をしたらいいのか分からないというループから抜け出せないんじゃないかという漠然とした不安を持っていたように思う。

考えていても分からないのだから、自分がやったことと言えばとにかく興味が湧いたものに飛びついてみるということだった。少しでも興味が湧いたらやる。当時の彼女がハンドメイドショップをやっていたので、何か力になれることはないかと思って、ホームページを作ってあげたいと思ったら、それは面白そうだし作るために勉強してみようと思ってスクールに通った。そこからチラシのデザインやなんかを勉強し始めたし、そのためにデザインとはなんぞやとかも本を読んだりしながら考えていった。

サルサもそうだったし、その前にも社交ダンスって面白そうだなと思った。それができるかどうか分からないし、上手く踊れなかったらどうしようなんて考えたりもしていたけれど、まぁ恥をかきたくないそれだけだったんだろうけれど。今でこそ恥をかくことのハードルがめちゃくちゃ低くなっていて、まぁ間違うこともあるし失敗することもある。恥ずかしいけれどまぁしょうがない。そう思える心はサルサが作ってくれたんだと思う。と話はそれたがサルサもやってみたい!と思ったことの一つだった。

それをやることでイベント企画することにチャレンジしたり、それを面白くするためにはどうしたらいいんだろうかと考えたりすることでまた自分の違う側面が鍛えられた気がする。そんなサルサを通して色んな人と知り合ったり、繋がったりして、そういう人達の話や個性を知ることで逆に自分とは何なのか、自分には何ができて、何ができないのかが少しずつ分かってきた。

好奇心のセンサーの感度は今でも鈍っていないように思う。ちょっと興味をもったらやってみる、行ってみるは変わらずでそれが自分を広げていってくれる気がする。

サルサは自分を形作ってきてくれた。サルサが上手に踊れるようになっていくにつれて自信を持てるようになってきたし、イベントの失敗成功を経て次はこうしよう、その次はああしようと失敗を失敗と思わない心の土壌が育っていったように思う。

合わせて、自衛隊を辞めてからやった仕事でどうしようもない人間に出会ったことも大きい。理不尽を振りかざす人間に2回も出会ってこんな人間にはなっては駄目だなと反面教師としてあのいや~な記憶が今も自分の中に残っている。

自衛隊、リンゴジュースの飛び込み営業、コンビニアルバイト、介護、イカ釣り漁船、自動車組み立て、仕事をかえるということは一から仕事を覚えるということを繰り返すということだ。覚えるだけじゃなくて、どうしたらその場所で貢献できるのかを考えていたように思う。自分が仕事をそつなくこなすというのでは足りなくて、一緒に働く人のことやお客さんが嬉しいと思うことは何なのかを考えたりしながら自分ができることやっていたのかもしれない。

それはどこに行っても役立つ能力で頭はよくないけれど、いいなと思った人の行動を真似することがモノゴトの上達の近道なんだということが気持ちのどこかにあって、新しいことを始めるときには無意識にそうしているらしい。あわせてその人の目的みたいなものは何なのかを考えながら自分が貢献できることを探していた。

仕事を転々とすることは悪く見られがちだけれど、どの仕事でも学び取るという気持ちでいればそれは良き経験となってあとで自分を助けてくれるものとなる。というのは今になって感じている。やってきたことは無駄ではなかったと言えるにはその時、その仕事から学べることは何なのかを考えてやった時だけなのかもしれない。

この世の中には人を必要としている仕事はまだまだたくさんある。いざとなればどこかに行って何かしら探してやればお金は得られる。色んなものに固執することは時には行動を縛るものになることもある。この場所でなければいけない、こういうやり方でなければならない、本当はそんなことないはずなのだけれど、いつの間にかそう思い込んでしまう。今自分をベースに考えているからそうは思えるけれど、もちろん人それぞれの状況があるというのも分かる。それでも、いつだってどんな圧力を受けていても自分が能動的に動ける心や体の自由はあるはず。

様々なことが起こりつつある今の世界を生きるには柔軟に対応できる頭と体が必要なんじゃないかと思う。その柔軟さが人との繋がりも作っていくような気がする。もうすべてが気がするだけで理論だったものでもなんでもないことはさておき。何を書こうとしていたのか分からなくなったwまぁ日誌だからいいか。自分の頭の中に出てくる言葉を書き連ねられる場所だ。

こんなに考えたのにまだお昼ご飯の時間になっていなかった。お昼までの時間はたわわに実ったキュウイの収穫を開始。

屋根の上に伸びた蔓をたどって葉っぱをめくったりしながらキュウイを見つけて収穫していく。葉っぱの上にカエルを発見、こんなとこに登ってきていたとは。

時間までには終わるわけもなく、一旦終わってお昼ごはんへ。

午後もキュウイの収穫。鶏小屋の屋根の上、小屋と小屋の間の通路、マキノキの上とたった2本の木から伸びていった蔓からはコンテナ20個分くらいのキュウイが収穫できた。

最後の難関、マキノキの上に伸びたキュウイを収穫していると木のてっぺんで蔓が重なり合っていて鳥の巣のようになっている場所があった。

なんだか横になれそうだったので重なり合う蔓のベットに横になってみた。これがまた丁度いいテンションで寝心地は最高だった。

遊びはそのへんにして、木の上を渡ったり、下から登って途中から木の外側に身を乗り出したりしながらキュウイを採っていった。

暗くなるまで作業をしてそろそろ見えなくなってきたので終わった。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

-KAZUKIの雑記, 百姓日誌
-, , , ,