9月26日(火)晴れ
今朝も少し早めに起床。朝起きてから朝ごはんまでの時間は脳も体も一番疲れていなくて集中力がある。そんな時間を使って読書したり、記事を書く時があれば書いたり、なんだか分からないけど本を読みながらひらめいたり、スラスラ文章が書けたりする。
ということで、昨日はSUBURI STUDIOがあって遅くなってしまったので日誌も27日の朝に書いている。けれど、あたかも昨日の一日の時間が流れていくように書いていく。
今日(26日)も朝ごはん食べたら鶏のお世話へ。今朝は80代のTさんが来ていて早々と上の鶏舎の水を替えていた。自分と妻は下のキノコ棟へ。妻がキノコ棟B-一番若い鶏のいる鶏舎-の産卵箱に卵を発見、ようやく卵を生み出したらしい。日誌によると彼らが来たのは3月29日だったらしい。
鶏が卵を生むのは生まれてから大体6ヶ月くらいかかる。何羽か亡くなったけれど毎日、水、緑餌、餌を食べてホントに大きくなった。若いからというのもあると思うけれど毛には艶があって健康そうだ。
水を替えたら、帰りに緑豆にかかっているネットを外して、稲を確認。昨日から田んぼに入る水を止めたらしい。稲刈りまでもう少し。
緑餌には花が咲きかかっているモロヘイヤを根元から切ってあげた。
鶏のお世話が終わったら、今日も種のバラマキをするということでその手伝いをする。「開墾」の入り口の西の畑の一段下がった場所、春にはワラビやフキがたくさん採れた場所がある。そこと、先日種を蒔いた、ゴマの西側のまだ草を残してあった場所にも種を蒔く。
自分はセイタカアワダチソウやなんかを抜いて、農道側の斜面の草を刈って畑にいれる作業をした。
妻は妙子さんに収穫方法を聞いてゴマの収穫を始めていた。
バラマキの手伝いが終わったらゴマの収穫へ合流。まずはあとの作業がしやすいように、葉っぱを落としていく。
一番下から数えて3つくらいのサヤが茶色っぽくなってきたら収穫時。ゴマの入っているサヤの口が開いていて葉っぱを落とす振動だけで中からゴマの種が飛び出てしまう。4つの部屋にキレイ位に並んで収まっている。人間が刈り取らなければ、風や雨、動物が側を歩いたりすることで種がその場にこぼれ落ちるんだろうなと想像する。
ハサミで刈り取るときの振動でもゴマが飛び出してしまう。乾いたサヤの中で鳴る音がマラカスの音に似ている。落ちてしまうゴマがもったいないと思いつつもさらに鳴らしたくなる衝動にかられるけれど、それはダメだと自制して作業をする工程の中で鳴る音を楽しみながらゴマを刈り取っていく。
もうお昼の時間になったので、収穫したゴマを持って下に降りる。まだ全体の1/10くらいが終わったところだ。ゴマの収穫はなかなか時間がかかる。
降りていく途中に風が吹いたら音がなりそうな紫色のベルのような形をした花が咲いていた。名前はなんだろう?
草刈りや草を抜く作業で腕や体が疲れたようで、ご飯を食べて時間までグッスリ寝た。
午後はキャベツの種まきから。トレーに育苗用の土を入れて、種を蒔いていく。
今日は「春ひかり七号」というキャベツを蒔いた。
次に午前中収穫したゴマを乾燥させるために多目的小屋のテーブルの上にゴマのシートを敷いて、風が通るように工夫しながらゴマを並べていく。ゴマを祀る祭壇のようになった。確かにゴマを弔ってその実を頂く、あながち間違っていないかもしれない。
そのあとは何をしようということになって、色々やらなきゃいけないことがあるけれど、人参の間引きと草取り、合わせて春菊も草に飲まれないように草取りをすることになった。妙子さんは側でネギの土寄せと夏の草に飲み込まれてしまい欠けてしまった場所に買ってきた苗を植えていた。
「草の管理を上手にしないとこうなっちゃいます。ハハハ」とお茶目に笑っていた。上手くできなくてもしょうがない、笑い飛ばして次へ。「何十年もやってきても失敗しちゃいます。」とよく話している。毎年がチャレンジの年なんだなと思いながら、それが楽しむコツだよなと。上手く行けばいいな、ダメでもしょうがないワクワク、ドキドキすることを今の朝ドラ風に言うなら「ちむどんどん」する方へと進んでいくことで面白いものに出会っていく。
時間は16:00栗拾いの時間だ。軽トラに長い竹を積んで妻と2人で「前山」へ。木の上で口が開いている栗めがけて竹で振り下ろして次々と栗を落としていく。今日はたくさん栗を拾った。
戻ってきて農園の中の栗も見ていく。途中で妙子さんと合流して栗拾いは終了。下に戻ったら拾ってきた栗を分けて今日の作業は終わり。
もう18:00ともなれば薄暗くなってくる。秋分を迎えて徐々に農園の雰囲気も秋模様が深まっていく。