KAZUKIの雑記 百姓日誌

福津農園 Day267 柿の木の剪定と大豆、小豆の選別

福津農園 Day267 柿の木の剪定と大豆、小豆の選別

1月25日(水)晴れ

朝5:00布団から這い出てトイレへ向かう。ちょうどトイレの扉のそばの壁に温度計が取り付けてある。外に出たときから、空気がキリッと冷えているのを体で感じていた。鼻の内側を冷たい空気が通るときのあの感覚がいつにも増して鋭い。ついに福津農園も-5℃になってしまった。

居間のストーブに火が残っていればな~なんて思いながら自分のデスクに向かう。(今は食卓の大きなテーブルがデスク代わりだ。)が、そうは問屋がおろさないと言わんばかりに甘い期待、いや暖かい期待はバッサリと切り捨てられる。ひ、火種がない…ダメだ薪に火をつけることができない。いや分かっているマッチを使って火を起こせばいい、でもそれじゃダメなんだ。いかに火を使わずに火を付けるかが重要なんだという謎ルールを課している自分がいる。そもそも火種も火じゃないか何言ってんだとどこかから聞こえてくるようだ。幻聴でも聞こえるようになったか。

そんな声も自分の作ったルールには届かない。残っている僅かな火種から大きな火を起こすことにわけのわからない達成感を抱いているのか、子供を育てるとはこういうことなのか、おばあちゃんが「あら少し見ない間に大きくなったねぇ。お菓子あげようね。」なんて優しい眼差しを孫に向けてるかのようなものが火種にはある。いやあるわけがない火種が孫なことはない。火種を擬人化してはいけない。

ここでいくらか冷えた部屋のおかげなのか冷静さを取り戻して夜のSUBURI STUDIOに備えて本を読み進める。外は-5℃、中は10℃、8:00の朝ごはんまで生き延びることができた。人間10℃くらいあればなんとかなるもんだと自分の限界値を探る生活も悪くはない。妻は許さないだろうけれど。

でもさすがに0℃付近の温度帯では人間の生活も危うくなることを今日は身を持って知ることになるのだった。

朝ごはんの前にもう一度外に出て少し散歩をする。昨日の夜の雪がまだ残っていた。

-5℃は水分が凍りつく世界なのだということを今あらためて自覚している。雪国にいるとなんとなく水というものは雪に変換されていてフワフワした優しさを持ったもののような感覚だ。ホワイトクリスマス程度の雪だったらキラキラとした優しさに包まれていいだろうが、雪国では雪がホワイトアウトという凶器となり車を運転する人間を襲う。雪の降らない冬を過ごせることに少し安堵している。

鶏たちはこの寒さにも体を震わせることもなくいつもどおり過ごしている。

福津農園に遅い日の出がやってきた。雪も植物達もこの瞬間にキラキラと輝きだして美しい。

真横からの光というのは何でもないものまで引き立ててくれるマジックライトだ。

とカメラを持つ手も寒さで痛みだてきたので戻って朝ごはんを頂こう。朝食を済ましたら鶏のお世話へ。キノコ棟の水道は凍っていて水がでない。餌を作る場所の水道を使うために何度か往復して水やりを済ました。次は開墾まで緑餌をとりに向かう。雪が薄っすらと積もっていた。そこらへんに生えている菜っ葉やカブ、大根を引っこ抜こうと思うと葉っぱ凍っているからなのか根本からブチブチとちぎれる。

取り終えて戻ってくるとさっきタライを洗った時にこぼした水が凍りついていた。坂道が凍ってしまったら危険だ。いくら雪国育ちといえど身の危険を感じる。踏まないように慎重に歩いてキノコ棟へ向かった。

鶏のお世話を終えて戻ると凍りついた干し芋をスライスする作業が待っていた。芋が凍りついている。シャーベットを超えて一部氷の塊と化しているサツマイモもあった。切りやすいは切りやすい、しかし想像してみてほしい氷を片手に人は何分耐えられるのだろうか、自分は氷地獄にでも来てしまったのだろうかと錯覚してしまう。

手の痛みを乗り越えて僕らは大豆の選別組と柿の剪定組に分かれた。と言ってもどっちをやってもいいよというお達しがあった。剪定組は自分ひとり、もはや組でもなんでもない、剪定する人だ。剪定する人となった自分は開墾へ向かう。農道を歩いていく燃えるように赤い紅葉が目に入る。幹から枝の先にかけて赤さが増していく、体を走る毛細血管のように全身に血液が満ちているようだ。

近づくと枝の表皮は赤い斑模様になっている。

お昼ごはんまでの時間は斜面に生えている柿の木の剪定をしていく。なんでこんなところに植えたんだ?という心の声が漏れ出すくらいの斜面だ。

斜面を上り下り、脚立を上り下りしてい動いているにもかかわらず自分の手足の指には寒さが染み渡り少しずつ少しずつ感覚が薄れていく。そのうち、薄れてしまったと思っていた感覚は痛みにかわっていく。気合で柿の木を剪定して凍傷の危機を乗り越え、お昼ごはんを食べるために家に戻った。

大豆の選別組は作業を続けていた。ここは南国か?風も吹きすさぶ0℃付近の温度帯の中から生還した僕には暖かいその部屋が天国のように思えた。地獄のような苦しさのあとに訪れる安らかな時間、人はこれを天国と呼ぶのだろう。と悟りを開きかけるところだった。

お昼ごはんを頂いて、午後も大豆及び小豆の選別に取り掛かる。大豆の選別から小豆選別、これは順序が逆だ。大きいものを見ていた目は小さきものを捉えるのに大変苦労する。徐々に目が霞んでいくし、肩がこっていく。これは体を動かさないといけない、体が体を動かせという合図を出している。そしてまた僕は意気揚々と少しは慣れたであろう地獄へと向かうのだった。

午後は日が指してくれていたお陰か午前中ほどの苦痛はなかった。作業を終えてもどると家から飛び出ている煙突からモクモクと白い煙が上がっていた。煙突から出る白い煙を見ただけでも暖かさを想像して少しだけ心が温まる気がするのは気のせいだろうか。これは人間だけがなせる技なのではないか。あそこに帰れる、入れるという確信があるからそう思えるのであって、もし外に囚われ、入ることも帰ることもできないのならあの煙突からでる白い煙は燃え上がる怒りと憎しみの炎の化身にしか見えないのだろう。

夜と霧の情景が脳裏に浮かんだ。土も凍りつく極寒の寒さの中、作業をし続けた人、いやさせられた人たちが居たんだと、それにくらべたらここは暖かい南国なんじゃないのか。色んな人生やそこにいた一人ひとりの物語を知ることは自分に変な強さを与えてくれる。彼らの物語とはくらべものにはならないけれど、想像することで心は強くなれる。

と寒さにやられて頭はおかしくなっていく。どうやら人間の体は暑すぎても寒すぎてもうまく働かないらしい。戻って温め直そ。

と読んでいた本「出セイカツ記-衣食住という不安からの逃避行」の影響をもろに受けて書いてみた文章。文章はこんなに自由でいいんだという思いになるほど自由な感じ好きだった。著者が衣食住の不安から脱出するために様々なことしていくなかで悟りに近づき、そしてまた離れていく、大真面目に取り組みながら逸脱していく思考、そこから哲学的な示唆、神からの天啓を得ながら物語は進んでいく。

本を読んでこんなに笑ったことはないくらいに爆笑してしまった。「衣」編でどんどんと手持ちの洋服を捨てていく過程で突如出てくるナゾナゾに笑いが込み上げてしまってそこから先になかなか進めなかった。そこに差し掛かったのは布団に入ってからで、隣で寝ている妻にもこの笑いを体験してもらいたいと思って読んで聞かせようとするのだけれどどうしても途中で笑ってしまう。妻はそれにつられて笑う。文章で笑っているわけではないんだろうけど、ところどころでクスッと笑ったり、腹を抱えて笑ったりしてしまったりできる本だった。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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