KAZUKIの雑記 木こり日誌

新城キッコリーズ Day119,120 福井へ研修の旅「意思あるところに道は拓ける」

新城キッコリーズ Day119,120 福井へ研修の旅「意思あるところに道は拓ける」

9月28日(木)

福井研修の始まりは寝不足からスタート!

昨日の夜はWORKSHOP VO!!の読書会 SUBURI STUDIOがあった。まだ読み終わってなかったので課題図書を読むために朝もはよから起きて何とか読み終えた。

今は「技法以前」という本を読んでいて、統合失調症の人のケアの話なのだけれどそういう病気を抱えていない僕らにも当てはまる話がもりだくさん書かれている。

思っていることが反転するということが起こる。例えば、だれかのことが好きになった時に好きなんだという思いを伝えたい、でも、その後「私も好きでした」なんて良い結果が得られれば良いけれど、そうはいかない時もある。

大抵の場合は、自分自身が傷つくことが嫌なのでその思いを持ったまま過ごすか、相手も自分のことを好きでいてくれたらいいなという思いをもったり、あの娘は自分なんかのこと好きなわけない、と色んな理由を探して胸の奥にしまい込んでいつもと変わらない日常を過ごしていく。

それが酷ければ病気(?)となるのだろうか。「あの娘が僕に話しかけて来てくれたのは、僕のことが好きだからだ。食事に誘ってみたんだけれど、断られた!なんて酷い人だ。」好きな気持は反転して相手が自分のことを好きなはずだとなる。自分が好きだという気持ちは隠して。

相手のせいにしてしまえば、自分が傷つくことはない。自分が受動的なばかりに、能動的になれないばかりに事態がややこしくなる。まぁ程度の差はあれ病気でなくてもそんな風に思いたくなるときもある。

根本的に僕らは傷つきたくはないはずだ。心も体も痛いのは嫌だ。嫌だけれどやってしまうことがある。人とのつながりを求めているはずなのに他にいい方法を知らないばかりにトラブルが起きてしまうやり方を何度も繰り返してしまう。心を痛めて、体を傷つけてわめきちらして(わめかなくとも)いれば誰かが優しく声をかけてくれる。優しくなくてもかまってくれる。

自分の本当の弱さをさらけ出すことは勇気のいることだ。共に弱くあれる場所、同じ傷を舐め合うといえばあまりよい表現ではないけれど、そうして傷を癒やして、さらに傷つかない対処の仕方を一緒に考えていけるような場所、人間にはいつだってそんな場所が必要だ。

興奮していたのか寝る時間は遅くなりいつの間にか1:00になっていた。

ふくい美山きときとき隊 宮田さんのお話

そしてようやく木曜、朝の話が始まる。豊川駅7:00集合のためと、旅の準備をするために5:30にはなんとか起きて集合時間には間に合った。豊川駅から豊橋駅へ向かい新幹線に乗り換え一路福井を目指す。

3時間ほどかけて移動するということで時間もあった。更新できてなかった日誌をかき終え、そうこうしているうちに福井駅についた。ちょうどお昼ちかくになっていたので「何食べようか?福井名物は?」という話になって、駅のそばをぶらついて発見したお店に入った。福井はソースカツ丼が名物(?)らしく、みんなでそれを注文して食べた。

食べ終えて、新城市役所森林化の方々と合流して、「ふくい美山きときとき隊」が主催する自伐型林業大学校の授業の見学と管理する森の見学へ向かった。日本のどこにでもある田んぼと低い山々が広がる風景、どこにでもあるようでもどこか雰囲気が違う、空気が違うのだろうか?そこに住む人々が暮らすことで風景は生まれていく、だとしたら住んでいる人達の思いや何かがその風景には含まれている。過去に生きた人達、現在を生きる人達の思いがそこには表出する。思いが道を作るということをこのあと実際に感じる。

駅から30分ほど走ると到着した。

学生のみなさんの学びの拠点となっている元は(現在も?)公民館だったであろう場所、1:15から午後の時間が始まるということでその時間に合わせて僕らも中に入らせていただいた。

山にかかわる人からしか山は変わらない

新城市メンバー一同の自己紹介から始まり、この林業大学校を主催する宮田さんの話が始まった。自己紹介から始まり、これまで経歴と林業を始めるあたっての苦労のすえ今にいたることを軽快な口調で語っていた。林業を始め、続ける苦労というのは田實さんが言っていることとほとんど同じだった。

現代は山を持っていても「山守りする人」がいない。林業家でなくて山守りするひとを増やすことが現代の課題だということだった。昔は薪を取りに山に入った、しかも家族総出で入ったりしていた。木を薪として切り出したり、拾い出すこと森の中は適度に整備されていくことで森の環境が保たれていく。生態系を維持するためには人間も必要だということだ。他の生物と足並みをそろえることが大事なのだと思う。杉や桧が欲しいばかりに最初からそこにいた樹木など一度に伐採してしまうことは、足並みをそろえようとするには程遠い行為だったのかもしれない。

その上、人間が手を入れてしまったのなら最後まで人間はそこに関わり続けなければいけない、その関わりが絶たれて久しく経ったこと現在僕たちは大きな問題を抱えてしまった。スギ花粉症も獣害も人間が関わって見てみぬふりをしてきた森から、様々に形を変えて警告が発せられている。

宮田さんは「山をみえる化」する。と言っていた。山、森の傍に住んでいても見えていないが今の人達なのだろう。ちょうど、その場には山に関わる人達が集まっていた。

「この中で家で薪を使っている人はいますか?家は木造ですか?」

手が上がらない人がけっこういた。以前、森林組合かなにかに講演で呼ばれていって同じような質問をしたところ、同じような反応だった。

森に関わる人達がこうなのだから、一般の方々はもっともっと森と遠いところにいる。森に関わるのだったら家で薪を使ったり、生活に木を取り入れるたりすること、木材でできることは何なのかの始まりはそういう小さいところから始まるのではないだろうか。そうすることで、遠くに見えていた美しい緑をたたえていると思われた山の本当の姿が見えてくる。

まずは山に関わる人が木を使うことから始まるのかもしれない。変化の波はいつも小さいところから始まり、大きなうねりになる。小さな行動の積み重ねがいつしか大きな波になって思いもよらなかったところへと自分自身を運んでいく。この世界は粒子と波でできているのだからそれも当たりまえかと思えてくる。何もしなくても波を起こし続けているのだから、どんな波を起こすのかが重要になってくる。良い波、悪い波、どんなものでも伝播する。

新城市にも道作りのための補助金があったなら

福井市では路面整備、開設(1.5m~2.5m)に補助金がでる。いつも田實さんが嘆いている新城市の話とは雲泥の差だ。新城市では3mの道を作るなら出ますよということだ。それがどういうことかというと大型の機械が入る前提の道が3mということだ。新城キッコリーズのように軽トラが通れる道幅、2mほどの道を作ろうと思うとそこには補助金はでない。

大きな道はたしかに大きな重機や大型トラックが出入りすることができて効率的な作業が可能かもしれない、でも大きな道をつくるということは山を大きく削るということだ。山には雨水を分散排水する機能が備わっている。降った雨は地面に滲み込み、色んな所から沢や川、海底にも滲み出すようにできている。道を作るということはその分散排水の機能を壊すということになり、水道を絶たれた水がどうしても道に水が流れだす。さらに上空が広く空いてしまって受け止めるものがない道に直接雨が打ちつける。道は削られるし、作った道を水も流れる。上手に排水させなければ道が崩れて災害に至る。

小さな道の両脇に程よく木を残すことで、枝葉に道が覆われ雨が打ちつけることがない。山を大きく削ることもないため、崩れる危険性は少なくなる。もちろんきちんと排水のことを考えたり、崩れないような道作りをすることは基本にある。

この丸太の値段が激安な現代において、道を作ることにお金がでないということの問題とは?(キッコリーズのような道作りにという意味で)

木こりで生計をたてるということは丸太ないしは木をなにかの形にして運び出して、買ってくれる方に届けなければいけない。丸太を短く切ってエッチラオッチラ担いで出してもいいのだろう、1mに切った丸太を持ったことがある人ならまずそんなことはしないだろうが。。。

そんな無謀なことは筋トレが趣味の人に任せるとしておいて、丸太を出すための道が必要で、道作りがなによりも優先される。つまり、目的の木が生えている場所まで道を通さなければいけない、近くだったらいいだろう、でも良い木がある場所は森の入口から数百m先にあることもある。そこまで道をつけるのに何日かかるのだろうか?途中で大きな岩盤にぶつかったりして思うように進まないかもしれないのだ。道作りをしている間は無収入ということだ。

その間は持ち出しが続く、林業を始めるためには道具が色々と必要でお金がかかる。チェーンソー、それに付随する道具、丸太を運び出す林内作業車(それは馬でもいいかもしれない)、燃料、道作りのためのユンボ(レンタルor購入)etc、丸太を運び出すまでに色々とお金が掛かっている。何かを始めるという点では他の事業でもおなじかもしれないけれど、そこから収入源となる丸太が運び出されるまでにはかなりのタイムラグがある。ある程度道ができてきたら、宮田さんがいうようにキャシュフローの流れは良いのだろうけれど、やっぱり道しだいだ。

ということで、小さな道を作り丸太を運び出したり、美しい森、災害に強い森作りをしようという小さい林業をやろうとする人を応援するのなら、そこを助けるというのが良い税金の使い方なのではないかと思う。というか小さな林業が日本の森を救うかもしれないのだから、それを応援するためにも福井のように小さな道にも補助して欲しいものだ。みんなの税金なのだから、偏った税金の使い方は良くないとは思うけれど、市民の幸せや安全、安心、福利厚生に寄与するのであれば勇気をもって進めてほしいなと思う。

色んな使い方はあるだろうけれど、その一つに小さな道作りにお金がでるというこは、小さな林業家を生むことに繋がり、たくさんの人達が森に関わることに繋がるのなら良い税金の使い方なのではないだろうか?森林率83%の新城市のこの森をいかさない手はないのではない、手の出し辛い場所にある木もあるだろうけれど、それでも余りあるこの森がこれからのキーになっていくのだから。

宮田さんは「きときとき隊」のような林業をする人(団体)が各地域に一人(団体)でもいれば山は蘇っていくと言っていた。その考え方も素敵だなと思った。

水切りが徹底された道をみて感じること

講義を聞き終わったあとは実際に道作りをした森へと入った。宮田さんが特に強調して言っていたことは排水のことだった。それがとても印象に強い。30mおきぐらいに排水のための水切りがされある。写真では見づらいけれど。

歩いていて途中でふと思ったことは、この森では丸太が搬出されていないのではないか?ということだった。新しく道を作ったところを除けば、道が丸太の搬出利用されたあとがない、林内作業車や重機が通ったあとがない。

水切りをすることは大事だと思うけれど、何度も往復することでどうなっていくのかということは検証されているのだろうか?実際に作業車に乗ったらどんな感じがするのだろうか?その水切りを避けるためや、危険をさけるために同じ場所を何度も通ったら道はどうなっていくのだろうか?などなど疑問が思い浮かんだ。

もう丸太をしばらくは運び出さない道ではあのような水切りの役割はかなり大きいなとは思う。しかししかし、毎日同じ道を使って材を出している身になると先程のような疑問が頭をよぎる。

色々と検証は必要だろうと思うけれど道はとても綺麗だった。

もう一つの現場にも連れて行っていただいて、そちらは一箇所崩れたところがあった。それも、水を流すために埋められていた土管が詰まり、その水が溢れ出し道下に流れていったことによって崩落した。人間が人為的に水の流れをコントロールしようとするとやはり定期的に手入れをしたりすることが必要で、やりっぱなしではいけないんだということが分かる。人工的に作られたものはやっぱり人の手がずっと必要なのだ。人が手をかしていないところはもしかしたら他の生物がなんとしているのかもしれない、彼らも、やりすぎたな~とか失敗したなとか思うことがあるのだろうか?

政満さんも言っていたけれど、柿の木や梅の木は剪定するけれど、一度手をつけてしまったら毎年剪定してあげなければいけない。たしかに、変な方向に向かって枝が出たりする。クリの木は手をつけずに自然のままに育っていた。枝同士が喧嘩することなくキレイに上に上に伸びていったのを覚えている。

人が手をいれたのなら最後まで責任をもって関わり続けることの大切さをあらためて感じた。

森の見学を終えて夜は宮田さんを始めスタッフの方々を交えて交流会を楽しんだ。宮田さんのお陰で思わず弘前の林業家の人ともつながりなぜか電話で話したりして、2次会、3次会と夜は深まっていった。

自伐林業大学校の卒業生 荒井翼くんの山を見学

翌日、重い頭をようやく持ち上げて目覚めるとあとちょっとで出発の時間になっていた。せっかくの朝ごはんを急いで食べてに行って出発の準備をした。シバケン班長の指示に従いレンタカーを借りて、とりあえず出発。今日の目的は宮田さんのもとから旅立った翼くんの森を見にいくことだった。

いざメガネミュージアム

約束の時間までは2時間ちかくある。シバケン班長の判断にゆだね、紆余曲折あり向かったのは、メガネミュージアム。福井といえばメガネ、眼鏡といえば福井と言われるくらいに眼鏡の街なのだ。

増永五左衛門なる人物が、雪深い冬の福井(生野)の人々の生活の糧になる生業を探していたところ、明治以降に発達した印刷技術などによって、新聞など活字を読む文化が広まったことで近眼や老眼によって眼鏡の需要が拡大していたことも相まって、眼鏡枠の製造が始まった。ということだった。

一人の人間の思いが今の福井を作っているし、そこに暮らす人々の生活、さらに日本に暮らす眼鏡を必要とする人を支えているということを考えると思いは時代を超えるし、人間の思いは太くも細くも繋がっていくのかもしれないなと思う。

眼鏡アピール強すぎなメガネストリート。学べることがたくさんある。眼鏡のように押せるものってなんだろう?

時間を有意義に使って、目的地へと向かう。

そしてたくさんの可能性を秘めた翼くんの森へ

翼くんの森は広葉樹とスギ・ヒノキ林の混交林だ。その中にキレイに作られた道が通っている。宮田さんに手伝ってもらいながらも初めてつけた道らしいが、全然きれいな道だった。

面白いロータリーもあったり

色んなキノコがそこここに生えていた。

まだ丸太は出していないということだった。2年後には出す予定だということだった。

意志あるところに道は拓ける

「意志あるところに道は拓ける」という言葉通り、どんな思いを持って道を作ったのか、どんな目的があって道を作ったのかは道を見ればその人が何をもってつけてきた道かが分かる気がする。なぜそういう道になったのか、目的にともなう意志が道をつくるし、何もないところに意志はわかないだろう。

道を作ることが目的にはなっていないだろうか?その道はなぜそこにあるのか?道作りにお金がでるということの危険性も同時に感じた。翼くん目指しているものがあって、そのために道をいれていた。

1m道を作れば2000円、一日10m進めば20,000円、補助金を悪用しようと思えば、道作りのために道を作るという意味のない道ができかねない。となると補助金というのは慎重に作るざるをえない。

道をみればそれがなんのための道なのかというが少し見えてくる。

僕がつけてきた道はどんなんだろう?あとから歩いてきた人が見たら、あ~そこに繋がるのね!と思えるような道になっているのだろうか?人生において、あの丸太(目指すもの)を取りたいと思って道をつけてきたように思う。時々、キャンプファイヤーでもできる場所を作ろうかとか思いながら、そこを開拓したりしながら場所作りをしたり、そして、それに満足したら次はあそこの丸太を取りに行こうとまた道をつけ始める。木を伐って、道を掘削して、岩盤にぶつかりながら、あれ、森づくりは人生そのものかもしれない。どんな森を作るのか、作れるのかは、自分の人生にどう向き合ってきたのかということが大きく関わっているのかもしれない。

なんて無理やり森と人生を結びつけたりなんかしながら適当なことを言っている。新城キッコリーズは今まで、そして今も難所を通り抜けている最中なんだと思う。森づくりでいけばちょうどデカい岩盤にぶち当たっているところ、まさに現実でデカい岩盤にぶち当たっているんだけれど(笑)その先には目的を叶えてくれる一つの宝が待っているのだ。

丸太を売ったりして稼がにゃならん、美しいく災害にも強い、人が集まるような森をつくらにゃならん、欲張りだもの、だれもやったことがないことだものそりゃ困難な道だ。でもその道ができた時、作り方を知っているのはただ一人、田實さんだけなのだ。そんなキッコリーズの道作りに登場するブレーカー(岩を砕く機械)のような存在となれるかどうかはさておき、少しでも力になれることは何だか楽しい、自分自身の道作りも楽しいけれど、他の人の道作りもこんな風に楽しいと思えているのは不思議なことだ。仕事でもなく趣味でもないそんな気持ちで毎日過ごせている不思議。

福井の旅へ戻らなきゃ、ついつい脇道にそれてしまう。翼くんの山を見学したあとはオススメのお店を聞いて、大盛りではなく、大もり、という名前のお店の支店、大もり 支店。最初は大盛りを想像してしまった。ややこしい。

おろしそばとからあげを

その後は、木材の利用のヒントを得ようと、うるしの里会館へ向かった。

現役の伝統工芸士で沈金という技法で作品を作り続けている方の作業現場を見せてもらった。御年90歳、沈金歴70年、はっきりいって化け物だ。もう僕は〇〇歴70年という言葉は使えない。ノミさばきにそれだけの重みが出ていた。

そんな伝統工芸士さん達の技の粋を込めて作られた山車も見させても、らいうるしの里をあとに福井から戻る電車に乗るために駅に向かった。

2日間の寝不足のお陰で何もしていないとあくびばかり出て、早く寝たいしか頭に出てこなかった。家についてご飯も食べずに床についた。

福井の旅 終わり

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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