KAZUKIの雑記

3月後半の旅 パート1

3月後半の旅 パート1

いつの間にか我々はあの夢に見ていたお遍路八十八ヶ所巡りの聖地四国へとたどり着いていた。しかし今回はお遍路が目的ではない。キューバにダンス留学していた時に出会って半年程だったけれど一緒に過ごした彼と彼女に会いに久しぶりに会いたいと思ったのが始まりだ。愛知に住んでいてたこともあり距離的には青森から行くよりは全然近かかったのもあり行くことに決めた。でも出発地点は青森だった。考えたのは愛知、現実の出発点は青森、すでに計画がおかしい。

ということで今は彼らとの久しぶりの再会を後に愛媛で日誌を書いている。残っている写真と記憶を出しに書いていこう。

久しぶりのサルサパーティーin弘前

そう26日は弘前でサルサパーティーだった。仙台の香さんと話をした時に「踊る時がない」と踊る機会を作ればあるのだろうけれど、きっかけがない、何がきっかけになるんだろう?今回は「サルサを踊りたい!」という純粋な思いが動機や原因となって、だれかに伝わり、何かが動き出した。動機なんてそのへんにいくらでも転がっていて、人が何かをしたいと小さく願ったことだったりするのかもしれない、そんな思いに人は動かされている。

今回のサルサパーティーやレッスンだってそうだ。自分がどうしてもやりたい!と願ったかと言うとそうでもないのだ。申し訳ないなと思う時もあるけれど自分はそんなところがある。3月も何の声も自分に届かなければ何もしなかったかもしれない。それはそれでのんびりと弘前の滞在を楽しんでいたのだと思う。占いではたくさんの人達の前に立つようなことはやったほうがいい、と言われたけれどそれはサルサに限らずにもできることなのかもしれないと思っているから、サルサで人の前に立つということに強いこだわりはない。まぁレッスンができなくとも色んな場所に踊りに行ったりすることでたくさんの人達と踊ることはできる。それがサルサの良さでもある。

今回はだれかの願いに突き動かされた。自分がサルサを始めた時にそうだったように「KEIさんにサルサを習いたい!」と思って、秋田に通い、レッスンに参加させてもらっていたら、じゃ弘前でやろうか?というふうに進んでいった。モノゴトはそんな風に進んでいくのだろう。自分の願いに動かされるし、他人の願いにも動かされる。願うことは自分を動かして、他人も動かす。願いは自分に働きかけていつの間にか他人にも影響を与えだす。それが中動態の世界か?

色んな人の思惑が絡み合って色んなモノゴトが起きていく。そして自分が離れてしまった青森に残された人達はまた踊りたい、まだ踊りたいと思ってくれていたのか今回のサルサパーティーにはたくさん足を運んでくれた。たくさんの人達の「踊りたい」という気持ちが今回のパーティーを作ったのかもしれない。本来なら愛想をつかして踊るもんか!となってもいいよなものだ。勝手に出ていって、戻ってきて勝手にサルサパーティーして、身勝手な人間にしても程がある。と自分は思うわけだ。それでも来てくれる人達がいる。そして変わらぬ笑顔で迎えてくれる。有り難いことだ。

自分があのころ先生を呼んで来てもらっていたように今度は自分がそれと同じようなことになっている。そんなことを願ってたわけでもないのに不思議だ。いやホントに願っていなかったのかと自分に問いかけると分からなくなる。願っていないことは起こらないと言うではないか。だからなんとなく願ってしまっていたのかもしれない。心の何処かで。それが今こんなカタチで自分の目の前に景色として広がっている。

「あの時」子供たちも一緒にサルサを踊れたらな。なんて思っていたことが実現したり。あんなに小さかった、エンチューフラをするためには屈んであげなければいけなかったのに、今では自分と同じかそれ以上に背も伸びて楽々とエンチューフラしている。大人に混ざって踊っている。なんだか感動する。

※エンチューフラはサルサの技の一つで女性を回転させる技

自分達が開催したサルサパーティーで出会って意気投合して、結婚した人達も久しぶりに来てくれた。彼らはサルサはやらなかったけれどサルサは出会いを作ってくれるものだと信じていたた。それもカタチになっていた。久しぶりにあった方はバルーンを作ったり、他のダンスをしたり、写真を撮ってくれたりと様々な活動をしている。今回もバルーンを土産にパーティーに来てくれた。

サルサも人生も新しいステージに進んでいるようだ。山あり谷あり、険しい岸壁ありだろうけれどそれすらも今は楽しめる気がしている。何かに真剣に向き合って、動いていれば、きっと楽しいこともある。サルサでも他のことでもますます新しい人達と出会って、また何かが生まれていくだろうなと思っている。

またの再会を約束してパーティー、二次会を終えて帰宅した時刻は夜中2時。また寝不足だ。

旅は道連れ、世は情け

27日 幸い二日酔いはない。けれど早起きをして旅の支度をせねばということで朝から荷造りをする。今日から高知を目指す。日本海ルートで行く予定だったけれど、宮城の塩釜に人を送り届けることになった。しきりにすみませんと言うが自分も人の情けに預かることが多い。すみませんよりありがとうと思う気持ちが強い。有り難く情けにすがる。「情けは人の為ならず」とよく言うではないか、回り回って自分に戻ってくるのだ。どんなカタチかはしらないけれど、そもそもそんなことを考えて情けをかけることは間違った感情を抱いてしまうだろう。

朝から色々と用事を足したり荷物を準備をして、朝ごはんにとおにぎりも買いに行って家に戻り、出発間際まで寝ていたNキングを起こした。早く帰らなければいけなかったらしいが「なかみそ」の話をしたのが運の尽き、「じゃあ食べていきます!」と言う彼を道連れに「なかみそ」を食べて家路を目指すことになった。

やっぱり先日食べたカップラーメンとは大違いだった。再現不足のあのカップラーメンはもう食べられない。隣で大盛りを食べるNキングはさすがだった。

弘前から途中までは妻に運転してもらって寝不足の自分は寝させてもらった。途中で運転を交代して、塩釜へ到着したのは17:00だった。

その後は、仙台駅周辺に移動して買い物をして、少しだけ高速を走って「管生(すごお)」で車中泊。

走り続けて淡河へ到着

28日 今日ひたすら車を走らせる。こんなに化石燃料を燃やして何してるんだとお叱りを受けそうだ。かの松尾芭蕉や伊能忠敬や名もなき人達が日本列島を歩いたように時間があったなら歩いたのだろうか?彼らも時間があったわけではないだろう、馬もあっただろうし、それを使うこともできたはず。それでも歩いたということは「歩く」ことに何らかの意味があったのかもしれない。そうだ車で行くことには何らかの意味があるのだ、残りの時間を効率よく、効率化、コスパ、タイパの呪詛は僕の中にもスルスルと入り込んでくる。でもたどり着かなければならないのだ。頼むからガソリンを燃やさせてくれ。とそれとなく呪いを受け入れる。

福島県に入り「ばんだいさん蔵市」で休憩し、昨日仙台駅で買ったスイートポテトを食べて眠気を退けながら東北自動車道をひた走る。妻いわく何かを食べている間は眠気はいなくるとのことだ。けっしてスイートポテトには眠眠打破のような効果はないことは分かっている。

北陸自動車道に入り富山県の名立谷浜SAでお昼休憩。そばを食べて、暖かい陽気にアイスも食べたくなってモナカを半分こして食べた。そしてまた走る。

2時間ほど走って休憩。小矢部川SA、まだ富山を抜けぬ。再び走る。

石川県を駆け抜け、福井県の南条SAへ到着。今日の目的地はまだまだ先のようだ。一服して走る。

18:00 いよいよ日も沈んで本日の営業時間終了の時間が近づいてくる。僕らに深夜営業をする気力は残されていない。

20:00 本日の目的地、淡路島の手前の淡河(おごお)SAに到着した。ここは旅人に優しいシャワーステーション完備なのだ。高速道路を走っている時点で、高速道路がある時点で、さかのぼったら車がある時点で旅人は新しい旅の仕方を享受しているのだ。便利になることと不便になることは同じ綱の上を歩いていることと同義だ。どちらかを選ぶと人間はどこかで不便になっていく。早く到着することを選べば化石燃料は減り、お金も減り、長時間の運転に体も強張っていく。僕らは何かしらを削ることで便利さを受け取っている。不便を引き受けることで便利になる。手紙からLINE、徒歩から車に飛行機、村社会から都市社会、あげれば切りがないほど便利さと引き換えに見えないところで不便さ発生してそれを引き受け続けている。

それでも有り難やと思うのも人間の心。心や体を傷つけながら走った今日一日の終わりに温かいシャワーは降り注ぐ、体と心のコリをほぐすようにその一粒一粒が「おつかれさま」と語りかけてくるようだ。

夜遅くまで開いていてくれる街かどのごはん処も有り難い。腹が減った旅人の胃袋を満たしてくれるのは知らない街にたたずむお食事処なのだ。そう考えると今も昔も変わらないのかもしれない、なんて錯覚を覚える。風景は変わってしまったけれどやっていることは変わらないのだ。こんな夜に揚げ物メニューしかないなんてと文句を言う権利は旅人にはない。ガッツリと焼きそばとメンチカツ、アジフライ定食で胃袋を満たしながら傷つけるのだ。

四国上陸、10年ぶりの再会

29日 淡河に一泊して7:00には走り出す。やっと四国に上陸した~!と思いきや、そうだここはまだ淡路島だった。と勘違いに妻と二人でしばし爆笑していた。

1つ目の橋は明石海峡に掛かる「明石海峡大橋」、橋を眺めるべく淡路SAに入る。写真を撮ってあげたり、写真を撮ってもらったり、旅のコミュニケーションは戻りつつのあるんだなと感じた。

日本の何処に行っても2つの尾をもつ幻の人魚はいる。日本の珈琲屋さんたちが入ってもいいのになと思うとともにスタバにはそれだけのシステムやなんかが整っているんだろうなとも思う。世界中の人を包み込んでしまう懐の深さがあるのだろう。

さて出発だ。運転をかわり今度は本当に四国にかかる橋を渡る。自分のイメージの中では鳴門海峡は全然違う場所にあった。こうして頭の中の地図が書き換えられていく、これも旅をすることの醍醐味だ。聞くことと見ることはだいぶ違ったりする。そしてこっちの橋はなぜか「大鳴門橋」なのだ。なんで〇〇大橋じゃないんだろうという疑問は次の旅に残してひた走る。

徳島県を走り抜け、高知県の室戸に入った。

待ち合わせ場所の「室戸世界ジオパークセンター」に到着した。着いたことを連絡してしばし待つ。

10年ぶりの再会だったけれど見た目は変わらない二人、少し話をしてお昼ごはんへ。

室戸で美味しいキンメ丼が食べられるお店「花月」へ。

ちょうど観光客の方々が帰るタイミングでお店に入ることができた。外が見える窓際の席へ。

炙ったキンメダイとカツオのお刺身の乗った丼、最後は出しをかけてお茶漬け風にして。

ご飯を食べた後は漁港をぶらぶらと散歩。お遍路の第25番のお寺もある。

その後は室戸ユネスコ世界ジオパークへ。

地域協力隊員として活動に携わってきた彼の話を聞きなながら、ぶらぶらと散歩する。

彼、遠枝澄人は今、ビデオグラファーなのかフォトグラファーなのか、映像制作をしたり写真を撮ったりしている。キューバから戻った後は結婚して、JICA青年海外協力隊としてグアテマラに2年滞在そのあとにこの室戸に来た。行ったことがないところに行きたかったと話していた。そういうのは自分も好きだ。でも自分の場合はつながった縁で今愛知にいる。澄人の場合は本当に縁もゆかりもないところだったんだろうなと話を聞いていた。今は市の職員をしながら映像制作をしたり写真を撮っている。

灯台を見たり、心霊スポットに訪れたりしながら、夜の宴までの時間を過ごした。

家で飲むのいいけど、何処かに行ったらその土地のお食事処へ行きたいと思っていた。思いは通じたのか行きつけのお店「駒季」へ。

キューバのあと10年ほどの間の話をしたり、今のことを話したり、自分の話をしたりしながら、澄人からの鋭いツッコミを受けて「う、こやつ深い」なと今までの人とは違う返しにたじろぎながら、改の澄人の凄みを知った。お陰で自分の思っていることを改めて整理整頓できたりもした。どれもこれも美味しかったのだけれど、この土佐巻きには感動した。大葉かな、とカツオのたたき、にんにく、ネギが巻かれている。それに醤油をつけて食べる。室戸に来て本当に美味し刺し身は自分も食べられるんだということに気づいた。美味しくないものは体がそれとなく拒否するようにできているようだ。ある意味正常なんだとも思った。

21:00でお店は閉店ということで、お家に帰って二次会を開始。結局3時頃までなんだかんだと話をして過ごした。

旅は情け、人は心

翌朝なんとなく早く目が覚めて、奥さんのmegumiちゃんの出勤前には起きられた。

彼女はキューバで2年間コンテンポラリーダンスを学びその最後の年に僕が知り合ったも一人の女性を通して知り合った。そして、澄人と僕はなぜか覚えていないけれど仲良くなっていて必然的にこの4人はお酒を飲んだりすることも増えて一緒に行動するが多くなった。

そんな中で2人はお互いに惹かれ合ったのか、帰国して澄人が大学を卒業して結婚した。megumiちゃんはかなりタフな人だ。澄人もなかなかなもので結婚式のあと数日でグアテマラに旅立った。もちろん行くことはもっと前から決まっていたのだろうけれど、それに着いていける彼女もなかなかだ。今も室戸に住んでいて、映像を撮ったりなんだりと、澄人の変化を楽しみながら一緒に過ごしているようだ。

知り合った当時は大学生特有の雰囲気があってかわいい弟のような感じだった。それでも頭はキレるやつだな~とは思っていた。今はさらに磨きがかかってキレすぎるくらいにキレてるなと思った。また数年後、いつになるかわからないけれど、そんな彼の成長が楽しみだなと思いながらバイバイした。

こうして、10年一度も会うことがなかったけれどふと会いたいなと思う時がある。なぜなんだろう?自分が思っていることを本気で話しできることって少ない、会いたいと思う人というのは何か面白くて、面白いから話をするのか、話してもいいかと思ってくれているから面白い話をしてくれているのか、まぁそれなりに気があったんだろうな。

数年離れていてもふとした拍子に思い出す人達というのはいる。そんな人達にふとあいたなと思う時がある。色んなツールでつながることが簡単になっている世の中だけれど、やっぱり直接会うことまさるものはない。今回の出会いでまた人の心に触れて、そしてまた会いたくなる時がくるんだろうなとこの先の楽しみが一つ増えた。

その後は、妻が買いたいお土産あるということで高知市を目指す。

買い物を終えたら、室戸の二人オススメの中土佐にある「田中鮮魚店」へとまた車を走らせる。ちょうどお腹の減ってきた13:00ころには到着した。少し歩けばすぐに港という場所で久礼大正町市場の一角にそのお店はある。

お店の人が良さそうなカツオの刺身とタタキをチョイスしてくれる。これが良さそうなんで言ってるけど、残っていく魚たちを後から来る人達のために選んでいくんだよな。と考えるとどれも悪いとは言えないだろうし、残った中から「これ良さそうなんで」と言われてもなんだか微妙な気持ちだ。

ままそんな深いことは考えずに選んでくれた最高のカツオを頂きましょうや。

この2日間、僕の人生でこれほど刺し身を食べたことはないってくらいに食べている。美味しいとはこういうことかと妻の顔が物語っている。

その後は近くを散歩して美味しいコーヒーはないかと少し徘徊。

さて2時間半ほど車を走らせて着いたのは四万十川。四国に来たら四万十川でしょ!と妻の強いすすめもあって高知を横断してきた。佐田沈下橋というのが一番長い橋らしい。欄干がないのは洪水が起こった時に流されないようにするためだという。

今の時期だからなのか河の水量は少なかった。「これが四万十川か~!」という感動もちょっと薄めだ。

それでも喜びのポーズを妻にとってもらい。

河のほとりにあるhotori COFFEEでジンジャーレモネードを注文して、ベンチに腰を下ろして穏やかな川の流れを眺める。

近くの「川」というそのまんま名前の喫茶があって、その側に公衆トイレがある。そのお店の猫なのか近場をウロウロしている。

トイレに寄って目指すは愛媛。

20:00ころに到着、とりあえずご飯たべよ~ということで探していたお店が閉まっていたので近くにあった中華バルへ。滋賀のクラフトビールもなかなかうまかった。

帰りに見つけた実家の泊にある居酒屋「魚政」と同じ名前のお店を見つけてなんだか嬉しくなった。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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