9月2日(金)曇りのち雨強め
今朝は早めに起きて鶏のお世話をしてから出発することになった。5時に起きた。まだ夜から昼への橋渡しの時間、動物も虫たちも目覚め始めるほんの少しの間、朝の時間の気持ちよさはどこからくるのだろうか?
とそんなことを思ったか思っていないか、寝ぼけた頭の妄想かもしれない。ということでささっと済ませて、身支度を整えて準備ができたら出発。
会場に到着して、こちらの心と体の準備が整う前からお客さんたちは狙った獲物を逃さないように準備万端だ。開店と同時にスタートダッシュを決められ、こちらは追いつくために必死だ。次々とゴールを切っていくお客さんを尻目にこちらの体はヒートアップしていく。準備運動も何もあったもんじゃない。ぶっつけ本場、本番にさらされた体が本物を作っていく。
朝市を思い出して、そんなわけの分からないことを後から考えたりなんかして、あっという間に1時間が過ぎた頃にはもう野菜は残りわずかに。
スタートダッシュを決めた準備不足の体はなんとか最後までもった。
朝市を終えたら家に戻って、昼寝しようかなと思っていたらなぜか眠れず。新たに読み初めた本の続きが気になり、けっきょく最後まで読んでしまった。
世界には、大雑把に分ける12種類の土しかない。
藤井一至著「土 地球最後のナゾ-100億人を養う土壌を求めて-」を読み終わって、少しばかり土に詳しくなった気でいる。自分が住んでいる場所の土はどうなっているかがとても気になり始めて、実家に戻ったら穴でも掘ってどんな層になっているのかを確認してみたくなった。
バーチャル・ウォーター(仮想水)という概念がある。食料を輸入することは、その食品の生産や動に要した水をも消費していることを意味する。バーチャル・ソイルの目指すのは、「食糧を輸入することは、土の栄養分まで輸入している」とか「知らず知らずのうちに土を劣化させてる」とか、「土を大切にしましょう」なんて啓蒙だけが目的ではない。それ以前に土と私たちの見えないつながりを発掘することにある。自分がどんな土に生かされているかを理解することで、自分の身を守ることもできる。
藤井一至著「土 地球最後のナゾ-100億人を養う土壌を求めて-」
政満さんが言うように、自分たちが今食べているものにはどれだけのエネルギーが使われているのかを知ることが大事なように、食糧となるものはどんな土から出来ているのかを知ることはかなり重要なことだ。
土の成り立ちを知ると岩がなければ、今の自分たちが飲んでいる水も存在し得ないということも分かる。雨水が山に降り注いで腐植や土の間を流れて湧き出てくることで濾過されたり、様々な栄養を一緒に運んで来てくれる。その水や、土が存在するために植物の存在も欠かせない。どれも人が生きていくためには欠かせないものばかりで、少しバランスが崩れただけで今こうして日本に生きている自分を支えてくれている土や水や食糧というのは存在できなかったんだなというのが本を読んでいると分かる。
今自分たちが立っている場所はコンクリートやアスファルトが敷かれてしまった場所もあるけれど、途方も無い年月をかけて人類、生物が生きていけるような環境になってきた。もしかしたら今こうしてたまたま生きていける環境があるだけなのかもしれない、人類がどんな行動を取ろうとお構いなしに神の見えざる手が環境を変えることもあるかもしれない。今は、それを人類が加速させているだけかもしれないし、それは現時点ではわからない。遠い未来、長い長い時間軸で見た時に将来の人類(猿の惑星みたいに他の生物が頂点に立っているかもしれないけど)が「あの時にこんなことをしてたから、思いの他早くこの時代は終わっちゃったんだね」なんて言っているかもしれない。
そんなことを考えていたらSFを読みたくなってきた。まだまだ積読が残っているのに読みたいものが増えてしまって困った。