2月5日(月)晴れ
朝は空っぽの体に何か宿りそうなそんな感じがする。目を醒めたときから脳は色んなことを考えだすその前に閃きを体に迎え入れる。何か降ってこないかなと期待するような待つような、そんな感じでいる。
どのくらい進むかはわからないけれど、一歩、二歩とあるき始めるには朝が良い。
いい感じに作業を進めて、朝ごはんの時間を迎えた。ご飯を食べて鶏のお世話へ行く。水を替えて緑餌を取りに行く。
人間が食べるには少し心もとない小さな野菜たち(食に困ったらこれさえも食べるだろうけれど)は鶏の緑餌にはちょうどいい。
鶏のお世話が終わったら山田の家へ竹を運んで、片付けで出た古畳を持ち帰ってくる。竹を軽トラに運ぶ道の途中に謎の祭壇らしきものが。この間のほおじろ会の時に子供たちが「お供え」どうのこうの喋っていたのはこれのことか。この陶器の人形は竹を切っている時に側に転がっていたものだった。自分は竹からかぐや姫が出てきたかと思ったが、子供たちはそれを祭壇に祀る神か仏かなんかに仕立てたようだ。
竹を積み込んで、山田で畳を持ち帰ってきたらそれを新開墾にある柿のやみかんの木の周りに置いた。時間がたてばまた土にそして木の栄養になっていく。
午前中の作業はこのへんで終わった。今日来ていた通いの研修生の方から自分で炒ったコーヒー豆とオススメのコーヒー豆をもらった。焙煎したてだとあまり美味しくないらいしく数日経ったら飲める。朝のコーヒータイムが待ち遠しくて早起きに俄然磨きがかかる。
午後は引き続き柿の木の剪定をしていく。妙子さん曰くまだ枝を減らしてもいいそうだ。剪定歴数日の自分達にはその加減が分からずビビりながらさらに枝を減らしていく。もしかしたら来年は「去年は研修生がやったからね」なんて言われているかもしれない(笑)でもやるしかない。やらなくても陽当り風通しが悪くなるし、やってもできない可能性がある。だとしたらやって後悔しようが自分の生き方だ。今年の柿ができるころにはいないから後悔のしようがないんだけど、どちらかと言うとお願いした人の方が後悔する。
日もくれてきて銀杏の白い肌をオレンジ色に染めていく。隣の杉の葉がオレンジ色なのは僕らを苦しめる杉の花。夕方の陽に照らされてオレンジ色が凶暴性を増している。今だけそれには目をつぶろう、なぜなら夕日の美しさを感じたい。夕日そのものを見ても眩しいだけだけれど、空や海や雲、いろんなものを照らすから美しいんじゃないだろうか、そんな風に思う。
剪定作業を終えて、薪を運んだら今日の作業は終わりだ。