2月17日(金)曇り
金曜は朝市、これもあと2回だけかと思うとなんだか寂しい気持ちがこみ上げる。準備をすまして会場へ向かった。風が冷たくいつにも増して寒さが倍増しているように感じた。寒い記憶しか残っていない。
難しいなと思ったことがあった。以前にもあった。困っている人を助けるのは簡単なことだとは思う。困っているかもしれないなと見て分かることもある。助けを求められる人なら声を上げるだろうけど、そうでもない人もいる。困ってるよと声をあげれない人を助けるのは難しい。少なくとも自分は声をあげられる。
自分がいくら困ってそうに見えたとしても相手はもしかしたらその助けがいらないこともあるかもしれない。ただ単に自分がそう見えるんだから助太刀しようと思って手を差し伸べたら「いやこれからそうしようと思っていただけなんだけど」と思われることもあるだろう。だから手を差し伸べるのはなんだか難しいと思うときもある。
困ってるか困っていないはどう見分けたら良いのだろうか?ああいう場合ってどう見えているんだろう?
「思いがけず利他」の中に出てきた落語の一節のように橋の上から身投げをしているようなわかりやすい場面ならすぐに見分けは着くだろうけど、そうじゃないときもある。声があがるのを待つのがいいのか、声はあげられるのか。声がない、そんな素振りもないのに一方的な親切心からしたこと、されたことは何だか人を少し傷つける。
朝市を終えて蒲郡へ。手土産のドーナツを買いに八百富珈琲へ。
そこからhirayaへ。ホットサンドと流行りのビスコッティーを頼んで小腹を満たす。
お手洗いへ立った妻がミルクとコーヒーで刻んだ時間がコーヒーカップに残っていた。ゆっくりと少しずつ少しずつ口に運び続けて過ごした時間が彼女の中にも流れていたのかなと想像してみた。
その後は蒲郡と豊橋のクラフトビールを手に入れて研修に来られていた方の家へお邪魔した。少し山を登っていった先の集落の端っこにあたるところに家が建っていて、本人は「建ててしまった」と言っていたけれど素敵な家だった。一宿一飯の恩義ではないけれど、薪割りをすることにしていた。途中で斧の先端が柄から吹っ飛ぶというアクシデントあったけれど半日も持つかどうかはわからない分の薪を割った。1~2年くらい乾かすので「あ~これはカズくんが割った薪か」なんてならないと思う。薪の消費量は年間5トンだそうで、いまいち想像がつかない。自分でも薪生活を始めたらどんなもんか分かるんだろうな。
アクシデントにて早々に薪割りを終えて家の中に上がらせてもらってビールを飲み始めた。そうこうしてるうちにち奥様とちびっこ達も帰ってきて賑やかになってきた。気づいたら時刻は夜中の2時前にいい感じに酔っ払っていた。いつの間にそんなに時間が経っちゃったんだろう。美味しいお酒は朝が知っているではないけれど、美味しいお酒は時間を忘れさせてくれる。ついでに記憶も。
朝起きても昨日の夜はどんな話をしたのかほとんど覚えていない(笑)覚えているのは自分以外の人達だけだ。あれは良い時間だったのか、内容はほとんど覚えていなくて、もしかして自己満足にひたって良い時間だったなんて思っているだけなんじゃないかという危うさもある。
それでも別れの時はお世辞かどうかはわからないけれど「めちゃくちゃ楽しかった」と言ってくれていたので勝手に良い方に解釈しておこう。その方が精神衛生的もいいだろう。今度は青森でなんて何年後かになるかはわからないけれど、約束をしておけばそれはいつも達成されるはずだ。それとなく心のなかに約束をしまいこんで約束が果たされるときをジタバタしながら待とうと思う。