3月6日(月)晴れ
本来なら今日には福津農園を出て近くの有機農家さんを見学して帰るという予定だった。その予定は狂ってしまった。いや自分で狂わせてしまった。そして妻を混乱の中に引きずりこんでしまい狂った(笑)いやいつも笑い事にならないんだけど、「今回は3日かかった。ちょっと早くなったでしょ?」と笑って話しくれる。カズというウィルスは時々人をバグらせてしまう。そのたびに彼らは再起動を強いられる。再起動されたパソコンは今までバックエンドで動き続けていたアプリやらなんやらの動きをはじめの状態に戻してくれて色々とスッキリしてサクサクと動き始める。
人間にもパソコンと一緒で時々再起動、リスタートすることが必要なのかもしれない。知らず知らずのうちに頭の中で様々なものが動き続けていて心が疲弊していく。リセットではなくて再起動を強いるKAZUウィルスは良いことしてるのかもなんて自分の行動を正当化する。ウィルスだって細菌だってそれぞれに生きるために必死なのだ。ただ生きて仲間を増やし続けているだけ。そこは人間も一緒だ。増えすぎると何かと害を与えるだろうし、人間がいいと思っているものだって増え過ぎたりしたら、時々思わぬ害が現れる。良いも悪いもバランスをとって共存・共生している。そのバランスをとるのがまた難しいのだ。
色んなもののバランス、心のバランスを取るために人は街に出るのだ。ということで月曜の今日は街に出る。妻の心のバランスを取るために。いやこじつけにも程がある。只単に「水上ビル朝市」へ行きたかっただけなんだ。毎週第一月曜日に開催しているということでなかなか行くことができなったのだけれど、ちょうど研修が終わって空白の1ヶ月ができた。一時帰省の前に行こうということで10:00の開催に間に合わせて農園を出た。
豊橋駅から徒歩5分もしないところに水上ビルという古いビルが立ち並ぶストリートがある。古いお店や新しいお店が並んでいて青森の新町通りとは違って(ちょっとディスってしまって怒られそうだ)活気のある通りだ。
駅方向からブラリと散歩しながら出店しているお店を眺めていく。妻は次々と食べたいものが目に飛び込んでくるみたいで「いやそんなに食べれないよ」とこちらは止めるのに必死だ。事前にインスタを見てリサーチしていたみたいだ。ベーグルとパンのお店に並んで品物を買って、さらによく行くイルバルバも出店していてそこではジンジャーナッツッツとビスコッティを買った。
妻は「おにぎらず」に心奪われて「どれにする?」と聞いてくる。「いやそんなに食べたいと思ってないから、食べたいのにしたらいいよ」と伝えて海老アボカドマヨを買っていた。
コーヒー屋さんも何店かあって、どれも味わってみたいなと思ったけれど、この後も飲むかもしれないからな~と、それは思いとどまった。
蒲郡で夏ころに実際のお店をオープンさせるという夫婦がやっていたコーヒー屋さんでデカフェのコーヒーをテイクアウト。作っている間に少し話をしてみると、エアストリームという10mほどあるキャンピングトレーラーを改装してお店にするらしい。それは見てみたいとまた行きたいところが増えた。
蒲郡のアーダニーさんにあった帽子を作っている「Morocco」という帽子屋さんもいた。初めて出店したらしく、お話をしていると自分達が知っている人達ともつながりがあった。不思議なものだ。
色々と買い込んで朝市を後にした。この場所も豊橋有機農業の会の朝市と同じような雰囲気でみんなの居場所という感じがした。コロナウィルスで人と人とが離れ離れになりかけ、失いかけた居場所というのがまた大事なものになってきているのかもしれない。
次はそんな居場所のひとつでもある旧門谷小学校にある「緑のパッサージュ」へ向かう。ラパンエパンでサンドイッチとチョコクッキーを買う。
今日は福津農園の卵を使ったタマゴサンドだった。チーズとケチャップ、そしてほんのり甘いパン、そのバランスが絶妙で美味しい。
お隣のままごとカフェの寅さんの入れるコーヒーをお供にお昼ごはんを食べる。寅さんのコーヒーは寅さんの喋りが主でコーヒーはお茶うけ、寅さんとお話したくて皆さん足を運んでくる。そのついでにコーヒーがあるのだ。そんなお店があってもいいよなぁと思いながら話をしながらサンドイッチを食べる。食べ物が美味しいお店、雰囲気がいいお店、人がいいお店、色んなお店があっていい、よっぽど不味くなければ、人は付いてくるのかもしれない。
サルサを教えていた時自分のレッスンにもお客さんが足を運んでくれていたけれど何かしらの良さを感じて来てくれていたのだろうな。一度皆に聞いたことがあったけれど、やっぱり千差万別だった。だとしたらやっぱり自分がやりたいようにやるのが一番いい。何かに合わせる、誰かに合わせることも時には必要かもしれないけれど、結局は自分が楽しいと思えることをやり続けることで、それを面白がってくれる人達が集まってくる。政満さんも百姓仕事を面白がってやっている。寅さんも自分が面白いと思うことをひたすらやっている。甘い蜜に引き寄せられる虫たちのように、彼らのことを自分も面白いと思うから、彼らの醸し出す匂いに惹きつけれられるようにして青森からやってきたのかもしれない。
その後はニイダニ農園さんのニイダニさんに誘っていただいて川売(かおれ)の梅の里へ。
ある農家さんが梅干しなど売っていたのでそこに立ち寄ってお話を聞いた。田んぼや畑が獣害にあったり、高齢化なども重なりその集落のみなさんが40年ほどから梅の木に転換したことで誕生した「梅の里」だった。
その「梅の里」も観光地となっている。集落で(?)補助金をもらっているそうで草は年に5回刈らなきゃいけない、でもそういうのも自分達のペースでやっていきたい。市や県はどうやって観光地として維持させていくのかと迫ってくる。そんな2つのせめぎ合いがあるそうだ。そんなん自分達の日常の営みが優先じゃんと思うけれども、人が訪れることで生活も安定する。草がぼうぼうだとしたら人はその景観を美しいと思えるのか?それを問い出すと美しさとはなんなのかを問い始めなければいけない。「お金」はどこまで食い込んでくる。難しい。
まだ6~7分咲きの梅の花を見終えて団子に食いつくのが人間の悲しい性。「ここの味噌は梅が隠し味だよ」なんて言われた日には「どれ食べてみよう」と思わずにはいられない。ココだけの隠し味の効いた五平餅を食べる。
お腹も心も大満足の一日はこれにて終了。