KAZUKIの雑記

愛知と青森の間をうごめく

愛知と青森の間をうごめく

12月10日(土)一路仙台へ、再開のRumba,Son,Salsa

6:30に起きて、サービスエリアでパンとコーヒー(昨日買った自販機のコーヒーがかなり不味くてがっかりしていた。ここのは美味しかった。)を買って朝ご飯を済まして出発。

10:00過ぎには仙台まで30分のところにある道の駅村田についた。そこで今日の練習の内容を確認しながら11:30ころまで過ごして、仙台へ出発。

お昼ごはんには仙台のレッスンの後などにお世話になった廬山(ろざん)へ。軽くご飯を食べて練習へ向かった。

3年前?にスタートさせたRumba,Son,Salsa プロジェクトはコロナ禍という嵐にみまわれて座礁していた。実際のコロナの感染状況などは変わらずというよりは数字上では増えているけれども、心理的なものは治まりつつあるのかな?と思っている。3年ほどかけてようやく嵐と思っていた海に漕ぎ出せる状態になったこともあって今週は仙台へ向かっていた。

13:00~17:00まで途中に休憩を挟む予定だったけれど、それも短くなってしまい(いつものことなのだけれど…)練習はひたすら続いた。この3年の間にメンバーの方々の身の回りの状況が変化して参加できなくなってしまった人がいたりで(かくいう自分もその一人だけれど)またゼロからのスタートみたいな状況ではあるけれど、それもまた面白く、その変化に合わせて構成が変わったり、そこに参加する人達も変わっていくのだろうな。

練習会が終わったあとは何人かで夕ご飯を食べに行った。その後は弘前のサルサクラスへ通ってくれていた方の家に泊めてもらって、今読んでいる本の話とかに飛び火して、何だかんだと夜中まで話しが深まった。

明日は久しぶりのレッスンとパーティーがある。そろそろ寝なきゃということで寝ることにした。

12月11日(日)他人のボーナスで牛タンボーナスを頂き、久しぶりのサルサナイト

昨日の話のはずみでボーナスで牛タンを奢ることになってしまった彼に感謝して、初めての「司」へ。先輩数人で後輩にたかって、牛タンを食いまくった。妻はその値段にビビっていて安いものを注文しようとしていたが、いやここは躊躇せず食べたいものを頼もうということで、会計も遠慮のないえげつない会計になったことだろう。そのせつはご馳走様でした。次はお寿司ということだったけど覚えておいてもらっているかな?

ということでお昼を済ました自分は近くに美味しいコーヒーはないかと嗅覚を働かせ「岳山(がくざん)珈琲」へと向かった。テイクアウトにちょっと時間がかかりそうだったので、午後一でレッスンがある自分は妻にコーヒーを任せてレッスン会場の「ビストロ バンディード」へ向かう。

個人レッスンではひたすらアディオスの練習をして、目が回らなかった心配になった。

その後は14:00~15:00まで妻のピラティスのレッスン、立ったままできるスタンディングピラティスでサルサを踊るために必要な筋肉を鍛えられる動きや、回転などに必要な軸を作るための姿勢を維持するための体の使い方なんかを練習していた。

その後は、自分も久しぶりのサルサのレッスン、初心者の方もいたのでだいぶ簡単な内容のレッスンになった。ベーシックの中にいかにピラティスでも言っていた体の使い方を応用できるかを細かくは言わなかったけれど、自分で考えてやることも大事かと思って意識してみてほしいということは伝えた。

レッスンのあとはパーティー、全曲サルサしか掛からないという今ではレアな選曲をMomoさんがしてくれた。欲張り根性まるだしの自分は全員と踊ろうと決め休み休み掛かる曲を聞きながら、初心者の方、お久しぶりの方々と次々と踊っていった。

皆久しぶりのパーティーだったからか何だか感動して喜びもひとしおだった。今でもそれほど自由とは言えない状況ではあるけれど自分にも、そして今回パーティーをやったことで仙台の人達も(?)また何かが動き出した感がある。

2020年に入ってコロナが広がりをみせ始めたあの時、そして色々と考えていた6月1日に止まってしまった時間だったけれど、この2年間それぞれの状況の中で「サルサ」以外の営みは通常通りとはいかないまでも進め続けなければいけなかった。自分も含めそうもいかない人もいたと思う。それでもサルサだって自分達が日常を営むうえではその一部だったのだから、仕方ないとはいえ喪失感はあったのだと思う。なぜなら、やっぱり皆と踊るのは楽しいのだから。

合図が伝わらないあの感じ、上手く踊れるかな、楽しんでもらえたかな、この曲良いな、ナイス選曲、これはできないかも、こっちにしよう、ああしよう、と様々なことを考えたり、複雑な感情が一気に訪れるあの瞬間があの場所にはある。

踊った後は残った人達でご飯を食べて、また新しい出会い生まれたり、新たな繋がりが芽生えたりと人と人が出会うということの大切さを今こうしてまた噛み締めている。この2年間でデジタルの有り難さとそこでは分かりえない、分かち得ないものを味わった自分達はこの時の感覚を忘れずに持ち続けるが大切なような気がする。

どこまで高度に技術が発展したとしてもデジタルはこの踊りから得られる複雑な感覚を再現することは難しいのではないかと思っている。なんとなく。まぁ自分達がデジタルかリアルかの区別がつかなくなるような世界になった時にはどうかはわからない。

ご飯を食べた自分達は仙台を出発して今晩の宿泊地「岩手山SA」へ向かった。

12月12日(月)デスカフェ、久しぶりの実家へ

昨夜は飲んでいた自分の代わりに妻が運転してくれた。仙台まで来たしついでに実家に寄っていこうと思って岩手山SAから弘前に向かった。

コインランドリーに洗濯物を入れて、朝ご飯を食べて、妻は久しぶりの美容室へ。その間にできあがった洗濯物を乾燥機へ突っ込んで、車の中で読書をして待つ。

途中で乾燥した洗濯物をたたんで、妻を迎えに行く。久しぶりに行ったディアンジェで少し話をして、毒舌は変わらず元気そうな様子だった(笑)

その後はVO!!の活動 「DEATH CAFE VO!!」に参加して一冊の絵本をもとに参加者数名と話をした。

時間はあっという間に過ぎていく。実家に行かねば。

五所川原から高速道路を使って青森へ、そこからみちのく有料道路を通って、野辺地の下北縦貫道へ。縦貫道を走っている時に車がやたらふらつき、ハンドル操作で危機一髪をやり過ごした。気温が下がって一部凍っていたところもあったけれど、スタッドレスも履いているのになんでこんなに滑るんだと思っていた。あと気づいたけれど4WDに切り替えるを忘れていた。パートタイム4WDだった自分の車は愛知で常に2WDで走っていたのだった。

何でこんなに滑るんだよ~とビビりながらゆっくりと車を走らせてようやく実家に到着した。

1:00ころまで弟と酒を飲みながら話をして就寝。

12月13日(火)六ケ所の縄文人と現代人と再開

今日は再び弘前へ。その前に寄りたいと思っていた六ケ所村郷土館へ。

http://www.r-kk.com

高校を卒業するまで住んでいた地元のことを知らなかったこと農業をしようと思った時にその土地のことを知っておきたいという気持ちがあって郷土館を覗いてみた。

職員の方が六ケ所村の歴史をざっと教えてくださり、自分は地元の歴史について知らなさすぎるなと思ったし、もっと知りたいと思った。一つの驚きは縄文時代の遺跡が意外とたくさん見つかっているということだった。自分が住んでいる北側の地域にも暮らしていたあとがあるということだった。

といっても、現在我々が暮らしいてる場所はなんらかの理由があって暮らしやすかったということで縄文時代に生きていた人達も暮らしていたのだろうし、その生活が連なって今でも同じ場所で生活しているんだろうと思う。だから、それほど不思議なことではない気がする。特別な文明の利器がなくとも暮らせていた人類に思いを馳せながら、自分達にもそれができるんじゃないかと思わせてくれる。

時間がないこともあって聞きたりない話はまた次回の時にお礼を言って弘前へ向かう。

妻の実家へ必要のなくなった荷物を置いて、大和接骨院、安田調剤薬局へと顔を出して、再び愛知へ向かう。

12月14日(水)Mi-SALSA 私のサルサの原点的な場所

昨日は雨の中岩手山SAまで向かいそこで一夜を明かした。

朝起きて扉を開けるとそこは雪景色。

準備をして岩手山SAをあとにする。途中、仙台に寄り道して、お昼を食べたのち次は新百合ヶ丘を目指して出発。

電波を受信できずグーグルマップの案内が途中で切れてしまう難所がある首都高の分岐点を攻略して新百合ヶ丘にあるMi-SALSAへたどり着いたのは21:00だった。何だかだと話しがはずみあっという間に12:00になっていた。

最後は妻が気力を振り絞って朝方4:30福津農園に到着した。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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