百姓日誌

福津農園 Day120 大豆のまわりの草刈り

福津農園 Day120 大豆のまわりの草刈り

8月3日(水)晴れ

今日も暑い一日になりそうだ。起きて顔を洗いに外に出ると温かい風が吹いている。ちょっと起きるのが遅かったので1時間くらい読書。あんどストレッチ。

朝ごはんを食べて鶏のお世話へ。昨日も暑い一日だったから水桶の水もだいぶ減っていた。水を注ぐとみんな集まってきて思い思いに飲んでいる。

お世話が終わったら、「山田」に植えた大豆の周辺の草刈りへ。

自分は畝間を刈払い機で草を刈る。ここはイタドリがたくさん生えている。

妻は鎌を使って株まわりの草を刈っていく。

妙子さんは柵の下をぐるりと刈っていた。

今年は今のところ鹿の害もなく順調に成長している。去年はここまで大きくなる前に鹿に食べられてしまったらしい。

今日も多少暑いけれど風も吹いてきて、昨日よりも体感温度は低い感じがした。残る作業は株まわりの草刈り、それは午後に残して早めにお昼休憩にはいった。

少し昼寝をして、洗濯をしたら午後の作業へ。株まわりの草を刈っていると謎の幼虫がいた。暗闇を走る列車のような配色のイモムシ。

種を蒔く前に刈った草をしっかりと敷き詰めたので、日光を遮断して草に覆い尽くされることもなかった。種を埋めるためにかき分けたところにわずかに草が生えてきていて、それを刈っていく。

作業していくと茎の一部が半分切れて倒れたであろう大豆があった。傷ついて、折れそうになっても大豆は大豆の生をまっとうしようとする。切れて折れたあともその部分を治してまだ上に伸びていこうとする大豆の生きる意思を感じた。

自分達は大豆を育ているのか、大豆が生き残るために人間が大豆に飼われているのか?草を刈ってあげて、柵まで設置するしまつ。大豆は上手いこと来年も種を残すだろう。人間はまんまと大豆の戦略にはまってしまっているけど上手いこと共栄していければいいよね。

大豆を救出したら、その奥の草が生い茂っている田んぼの草刈りをしていく。最終的にはハンマーナイフで切り刻むので、法面の草を刈り上げ、刈り下ろし、周辺部だけを刈って形が分かるようにしておく。

全部を終えることはできなかったのでまた後日に残してあがることにした。

戻ってきて、鉢植えたままになっていたパセリを畑に移植する。鉢に入ったままだとそれ以上に根を伸ばすことができない、大きくなった体を支えるためには強い下半身が必要だ。植物にとっては根がそれにあたる。人間は6畳一間でも生活できないことはないけど、植物はその体の大きさにあった場所が必要だ。人間も1畳じゃ生きてはいけないか…本は読めるか。

インゲンの葉っぱも激しくやられてしまっていた。

ついでにキュウリも食べてみたらしく、かじった跡があった。まさにスギちゃんと同じような食べ方だったから鹿の仕業なのだろう。そのキュウリはスギちゃんにあげたら喜んで食べていた。

今日の作業はここまで、家に戻ろうと思って車庫の前を通ると政満さんが鶏の餌入れを直していた。20年くらいは使っているしろもので、直してまだ10年くらいはいけるんじゃないかと話していた。もう十分元はとれていると言っていたがそれも廃材を利用して作ったものだからそもそも元すらかかってない。

買ってくることもできるだろうけど、そこにあるものを使う。そこにあるもので今やろうしていることは出来ないかを考える。やったことはないけど、どうやったらできるのかを考えるというのはサルサのイベントをやったりする中で常に考えていたことだから、出来ないことはないという姿勢がいつの間にかついていて、それが色んな場面で役に立っている気がする。

色んな方の「姿勢」が今の自分の「姿勢」を作っている。良いことは取り入れ、そうでもないことは反面教師としてそうならないように。「良い姿勢」を維持するためには見ること、取り入れること、そして実際に行動してみること。それが自分の「血」となり「骨」となり、自分を支えて動かし続けるものになっていく。

夕方になり涼しい風に包まれると昼間のあの暑さも一瞬忘れてしまう。いい汗をかきすぎて徐々に意図せず体が絞られてきた。3食白米を食べるようになってちょうどよく脂肪がついてきていたのに、この夏を乗り切るために使われていっている。それが自然なのだろうなと妙になっとく。さあ遅い夕ご飯を食べたら寝よ。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生→木こり見習い
赤石家のカズ
2022年3月から農業の研修を開始!
2023年4月木こり見習いになる。
福津農園での農業研修を終え次なる目的地へと旅立つ
実践の記録と日々感じたことや何かを綴る日誌。

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