百姓日誌

福津農園 Day192 続・電気木柵の設置

10月24日(月)晴れ

6:00に起きて顔を洗いに外へ。深呼吸で新鮮な空気を体いっぱいに取り入れたらコーヒーを淹れる。最近はフルーティーな香りのする浅煎りのエチオピアにはまっている。STANDARTという雑誌についてきた浅煎りのゲイシャを飲んだのがきっかけで浅煎りも美味しいなと思うようになった。

ということで浅煎りのコーヒーを飲みながら本を読み始めた。

どんなことにもそれに先立つ何かがあってその選択の結果として「浅煎りコーヒーがいいな」と思ったり「この本を読みたい」と思ったりする。純粋な始まりというのはない。

「私が」これを選んだ。という時もどこかでそれを見たのかもしれないし、聞いたのかもしれない。ゲルハルト・リヒターの何かを見てその記憶によって現在の自分はある選択をしてリヒター展に行った。本当に自分から始まる行動なんかはないというのは本当かもしれない。

能動態と受動態、中動態の壮大な歴史をさかのぼって見るなら、今自分が持っている考え方は今の時代、社会という場所の中でしか通じないものになるということが分かる。新しい言葉の使い方や意味の与え方はどんどんと変わっていっている。何代か後の人たちには「今の時代」の言葉の概念が分からないということもあり得る。

とすると現代の言葉に縛られることに意味なんかないんじゃないのかとも思えてくる。縛られることで抑圧されていたエネルギーが開放される時が近いのかもしれない。

ということで朝ごはんを済ませて作業へ。昨日作業中に足袋についた種たち。種から伸びている細い毛みたいなところがベタベタしていて中々取れない。乾燥したら落ちるかなと放っておいたけれどまだベタベタしている。そう思って種をそこに払い落とす。

まんまと植物の生存戦略にはまってしまっているんだなと思った。ペタペタとくっつく種類の種はいくつかあって、それらは人間や動物に払い落とされるということを想定しているんだなと思った。よく考えられている。植物が考えていそうしているか、それとも自然とそうなっているのか?世界は上手いことできている。

鶏の水を替えて、キノコ棟に降りる途中で玉ねぎの様子を見ると葉っぱが2つに割れてきたものも出てきた。順調に成長しているようだ。

水を替えたら、カラムシを刈ってあげていく。

鶏のお世話を終えたら、今日鶏糞をもらいに来る方がいるらしく15袋の鶏糞を準備することになった。鳥小屋の中に入ってサラサラの鶏糞を米袋に詰めていく。途中で臆病な鶏、とくにウコッケイたちが暴れだしたりして自分も鶏糞の砂浴びを体験することになったりしながら詰め終わった。

毎日食べる草と草の残りが鶏が色々食べて排泄する糞、糞の中の微生物が作り出すサラサラとした「鶏糞」と呼ばれるもの、ほとんど砂のようになっている。舞っていることを見ると砂よりは軽い。鶏たちが砂浴びをすることで自然に切り返されてサラサラとした良い肥料(鶏糞)となっていく。

その後は昨日の続きで支柱を立てていく。

立て終わったら、電線を張っていく。

午前中は林道の東端から椎茸のホダ木が置いてある場所までをやって丁度お昼の時間になった。

お昼休憩をして午後の作業へ。西側を攻めていく。差し込んでくる日に照らされた木々が美しく輝くのには見とれてしまう。

見とれいていては足元が危うい急勾配の坂を下りながら電線を支柱に設置していく。

下まで行ったら折り返して登りながら2段目を。

終わって戻ると外に小豆のサヤが出ていた。もう少ししたら中身を出すとのこと。

あとは日が暮れるまで銀杏拾い。まだまだ、木の枝にくっついて落ちるのを待っている。

津軽塗みたいな柿の葉っぱ。

大きい銀杏だけ拾って下山。

今年は柿が不作らしく、残り少ないキレイ目の柿が木に数個なっていた。

今日も作業終了。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生
赤石家のカズです。
2022年3月から農業の研修を開始!
誰かの役に立つかは分からないけど、困ってる自分を助ける。
他のだれかも同じことを思ってるかもしれないと思いながら。

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