ジャガイモに灰をつけたもの

百姓日誌

福津農園 Day 2

3月7日 寝て起きたらなんだか目の周りが重たい…鏡をみるとくまが酷い。花粉のせいで目が疲れていてそんなことになっているのか、そんなことはさておき今日の午前中の作業はじゃがいもの植え付け、男爵薯とメークイン。

まずジャガイモの芽の位置を確認して、断面積が一番少なくなるようにカットする。

ジャガイモを切る

そのあとは、薪ストーブからでる灰をジャガイモの切断面につける。こうすることで、表面を殺菌することができる。もしくは日陰で乾かしても良い。

準備ができたところで、鍬とロープ、ジャガイモを持って植え付けする場所へ移動。家の裏の丘のうえに登っていき到着したら早速植え付け作業開始。植える場所は前の年もジャガイモを植えた場所にじゃっかん植えていた後がうっすらとわかる。ここでは連作障害とよばれるものもないらしく、また元気なジャガイモがとれるとのこと、収穫時期が楽しみ。

まずはロープをまっすぐ張って位置を決めて、40cm間隔でジャガイモを植えるための穴を掘る。そう穴を掘るのだ。畝をつくるのではなく、種芋の2倍位の穴を掘ってそこにイモをおいて土をかぶせる。

ジャガイモは切断面を上に向けて穴の中に置く、畝をつくらないため芽のでる方を下にすることで下に芽が伸びていってからそれが地上に出ていく、そして土の少し深い位置にイモができることで土寄せをしなくてもよくなる。畝を作らない、土寄せをしない、周りは雑草が生えていてマルチもいらない、手間が掛からないコトづくし。

鍬をつかって40cm間隔でジャガイモをうえる穴をほる

今日は男爵薯だけを植えて午前中の作業終了。

作業終了後のはたけ

午後は梅の木の選定へ、松沢さんの説明を聞きながら見様見真似で剪定作業をしてみる。

「枝と枝が込み合っているところをこんな風に」

「この空間を空けておくと収穫する時にしやすいよね」

「子供たちにも収穫体験をさせるためには、低くい位置の枝を残すといいんだけど、それだと鹿に食べられちゃうんだよね」

剪定された木、剪定というものにはそれをする人の思いや考えが現れるものなんだと知った。自然界の木は剪定をしなくてもちょうど良く、それぞれの枝葉が込み合わないように伸びていく、一度人間が手をつけてしまうとずっとお世話しないといけなくなる。木になる実を人間が最大限ならせて収穫したい、楽に手の届くところに実がなってほしいという思いから剪定という作業ができて、でもその剪定という作業にはけっこう手間がかかる。側にクリの木が生えていた、クリは実がかってに落ちてきてくれる。落ちてきたものを人間が拾うか、動物が拾うかの違いだ。もちろん地面に落ちたら昆虫や、微生物の餌食になるかもしれない、早いものがちの世界だ。

本来なら手を入れなくても自然に育っていくものに手を入れる-人間の欲望が入り込む-と自然に育っていく力やなんかを奪うことにもなるのかもしれない。だけど人間も動物も一緒で腹が減ったら食べたい、食べることに困りたくない、生きたいと思ってしまう。生きとし生けるものすべてが同じだけど、人間はその思いが生物一倍強いのかもしれない。いつの間にかもっともっとが止まらない世の中になってしまっている。

松沢さんはよく「生物多様性」「排除の論理」という言葉を使う。生物多様性というとどうしても地上に生きるもののことしか思い浮かばないし、人間以外、人間が好きなもの以外は排除したくなる。虫が嫌いな人も多いし、自分も苦手な虫がいる。だけど、土の表面や地中にも虫は住んでいて彼らの食べた残骸がまた微生物の栄養となり植物の栄養となる。彼らが土の中を移動することによって空洞がつくられてそこに水や酸素が供給される。そして良い土が作られていくことでまた植物が育つし、人間もその恩恵に預かることができる。目には見えないけれど自分たちの足元では他の生物たちも日夜自分たちの生活を送っている。

梅の木剪定前

剪定した梅の枝を細かく切る作業をしているときに言われた松沢さんの一言にハッとした。

「作業しやすからといってその木から離れた場所で切って、そこにその木の枝を朽ちさせるのか、作業はしづらいけれども枝を落とした木の根元にその枝を朽ちさせるのか、自分だけのことを考えて作業するのか、そこに住むすべての生物を考えて作業するのかで結果は大きく違ってくる。よく観察することが大事だよ。」

赤い梅の花

関わることすべてにどんな考え方をもって取り組むかで結果は変わっていく、生きていくための思想、哲学をすこしでも吸収していきたい。

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Kazuki

サルサLOVER→農業研修生
赤石家のカズです。
2022年3月から農業の研修を開始!
誰かの役に立つかは分からないけど、困ってる自分を助ける。
他のだれかも同じことを思ってるかもしれないと思いながら。

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