12月1日(木)晴れ
今日は農園にて作業の日。鶏のお世話からスタート。
水を替えて。
昨日から緑餌はかぼちゃの葉っぱと蔓を取っていたらしく、今日もそれを集めていく。
その後は黒豆の収穫。小豆があった場所はもう何があったのか分からないくらいに草が生い茂ってきた。小豆がそこで吸収した栄養は種として残されて我々がそれを頂いた。残った茎や根っこ葉っぱにも同じように栄養は蓄えられて、枯れていきながらその場所に住む虫や微生物に分解されて様々な種類の草が利用できる栄養となって、その場の微生物たちとの共生のなかで利用されていく。
そして草は作物と同じように成長して、死ぬことでまた何者かの生となっていく。めぐり続ける生命を見ていると死というのは存在しないのではないのかと思えてくる。草や作物としての「姿」「形」がなくなってしまうけれど、その身は次の生命の糧となり何者かの一部になっていく。だとしたら、生と生の間に死という一瞬が存在しているということになるのだろうか?いやそもそも一瞬も何もなくそこには「死」と言われるものはないんじゃないのか?とも思えてくる。
生は分解されてまた何者かの生となる。死とは分解されていく過程か?人間の肉体は分解されても、一緒に過ごした記憶は残っていく。記憶が生として誰かの中に残り続けることはまるでその人の思想や技術が生きているかのように誰かのを成長させていくように思う。
黒豆を多目的小屋に運んで乾かしておく。女性陣は脱穀した大豆を箕で選別していた。
どんどんと寒くなるのに合わせて家の前のムクロジが黄色く染まってきた。その脇のナンキンハゼは赤い葉っぱがすっかりと落ちてしまった。
午前中はそのへんで終わった。
午後は袋詰をして、夕方から明日の朝市へ持っていく聖護院かぶ、小松菜、雪白体菜、方領大根、水菜、ニンジン、春菊を収穫した。
12月に入ってガクッと気温が下がった。寒くなることは身体的には厳しいものがあるけれど、カブや大根なんかはどんどんと甘さが際立ってきて美味しくなってくる。夕食のために作った豚肉と一緒に炒めたカブは口当たりも良くて先週食べたものよりも、より甘くなっていた。寒さは食べ物を美味しくもしてくれる。