2月26日(日)晴れ
今日は新城キッコリーズのきこりのタジーさんの森を見学する会に参加する。研修も終わりに近づき山のことにも興味が湧いてきて、そういえばと思って見たキッコリーズのインスタを見てみると今日の見学会の情報が載っていた。なんというタイミング。森を見て、午後からは座談会があるということで、すぐに申し込んだ。
蓬莱盆栽センターが集合場所になっていて、そこに向かうとキッコリーズのお出迎えがあった。
ちょうどのこの盆栽センターの裏側の畑や山(の一部?)がタジーさんの所有している土地らしく、鹿の害があることなんかを説明しながら、人間の管理する森と鹿や猪などの動物との共存のしかたなどの話しもされていて、ここでも共存や循環の考え方がお話する方がいたと驚いた。タジーさんは小さい林業をする中で自然とそのような考え方になっていったらしい。排除することだけをよしとしなくなれば、どうしたら共存していくべきなのかの考え方に向かっていく。その中で人と自然との関わりあい方を問うていくことが仕事にも生き方にも繋がってくるのだろう。
途中で薪割り機を動かしてみたり、スギ・ヒノキは割って3ヶ月も置いておけば薪として使えるらしい、しかも間伐して材として使えない部分(一番上の細くなっているところや、一番下の太くなっているところ)を持ってきている。広葉樹の薪にこだわらずとも日本中これだけスギ・ヒノキで溢れているのだからそちらを使ったほうがいいよねと、燃え尽きるのは早いけれど薪として使えるサイクルは短いから、割って積んでおけばいい。割るのがどんどん億劫になってきてしまうけどね。と薪ストーブを持つことのデメリット?も話されていた。
森の神様に挨拶をしてから森に入る。
管理している森にはこのような石垣で組んだ橋桁の上に石橋が乗っている。ここは大型の重機やなんかは通ることができない。もしかしたら通ることができるかもしれないけれど、崩れるかもしれない。ということで必然的に軽トラや小さな重機を用いて行う小さな林業という形なっていく。
道路幅2mほどの道をユンボで作って目的の場所の丸太を下ろしてくるそうだ。
全体の30%の木を間伐するという時に10m四方で囲った木に番号つけて、どの木を切るのかを決めていくということだった。木と木の間隔は普通1.8mで植えられている。木の成長はそれぞれに違って近くに生えていても細いもの太いものが出てくる。その時の状況や光がどのくらいもらえるようになるのか、数十年後のことを考えなが行う作業になる。自分でも実家の元畑を畑に戻すためにどうやって木を切っていったらいいのだろうと考える時がある。そんな考え方が学べるんだろうなと思いながらタジーさんの話を聞いていた。
5年ほど前に間伐したこの場所には杉や檜の赤ちゃんが育っていた。不思議と鹿に食べられることなく成長している。森の外で育てた苗木を持ってきて植えるとすぐに食べられてしまうそうで、ネットを被せたり、周りを柵で囲ったりと、今では植林することも楽ではないらしい。
午前中の最後のほうで、切り倒した木の玉切りを見せてもらった。切った木がどういう動きをするのかを考えながらチェーンソーを入れていく。4メートルほどの丸太も足に落ちてくると骨折したり、あたりどころが危ないと死に至る。丸太を切ったり運んだりは常に死と隣り合わせだと言う話もされていた。
林業の担い手は少なくて、管理されていない山はこの日本中に溢れている。その影響を受けるのは自分達の何代か先の人達だ。人間が植えてしまった木は人間によって管理されなければならない。どんなふうにして利用していくのか、どんなふうに残していくのか数世代後の人達のことを思いながら今できることをしていく。
お昼ごはんを車で食べて、午後の座談会の会場に向かった。
帰りにもタジーさんとお話させてもらって林業について色々と聞かせてもらった。夕方4:00ころには終わって農園に戻ってきた。妻は一日中草刈りやら草取りをしていたらしく、最後の玉ねぎの草取りしているところだった。
ワケギやキャベツの周りも草刈りされてスッキリしていた。
大きくなってきているそら豆を見ているとなんだか黒い塊のようなものが付いてるな~と思って近づいて見てみるとアブラムシの集団だった。
妙子さんに聞くとどうやらこの時期、新芽が出てきたころにアブラムシもたくさん付くらしく、まあ放っといても大丈夫、テントウムシが来て食べるでしょ。と言っていた。たくさん付いて葉っぱが枯れだしたり、ある範囲だけに付いていたら何かしらが起こっているかもしれないと考えるといいということだった。
そんなところで今日は終わった。