5月15日(日)くもり
目が覚めて顔を洗いに外に出る。少し曇りの朝。
大ちゃんは道路の真ん中で日向ぼっこ。
朝ご飯を食べて、鶏の世話に向かう。いつも水を替えるために使っているバケツの中にカエルが迷い込んでいた。飛び込んだはいいが出られないくなっていたようだ。あとで名前を聞くとこれはトノサマガエルと教えてくれた。
キノコ棟に向かう途中の斜面に蒔いたカボチャはどうなってるかな?と思って覗くとそれぞれ芽が出てきていた。
水を替えは終了。
昨日採っていたイタリアンライグラスを刻んでそれぞれの鶏舎に運ぶ。彼女たちは草を山にして置いておいてもすぐに足でさばいて散らして、好きなところを選んで食べている。コッコやケッケが近くて食べているのを観察していると軟らかそうな葉の部分ではなく硬そうな茎の部分をよく食べている。
スギちゃんも草の山に顔を突っ込んで美味しそうなところを探している。
稲の苗にかかっていたミラシートを片付ける。稲はグングン伸びてきた。これだけの量が田んぼ一面を埋めていくのかと田植えの後を想像してみる。そして、秋にはどれだけのお米が採れるんだろう?
片付け終わったら、畑の野菜の畝間の草刈りをしていく。
これで野菜たちにも太陽がしっかり当たってさらに伸びてくれるかな。
草刈りのあとは、キウイの花を受粉させる。最近は蜂が少なくなってきているみたいで人の手で受粉させなければいけないらしい。左が雄花で右が雌花。雄花を摘んで雌花にちょんちょんと付ける。大体5個の花につけたら新しい雄花を使う。
受粉をするタイミングは晴れた日の午前中が良いらしく、曇った日や午後だと上手く受粉しないらしい。これからカボチャも花を咲かせたら受粉させるのでその時も同じらしい。
受粉させたら、雌花からさらに2つ出ている芽は摘んでおく。
キウイは雄花の方が先に咲き始めて、雌花が遅く咲く。雄花はたくさん花開いているけれど、雌花はまだまだ咲いていないのがほとんどだった。
終わったところでちょうどお昼ごはんの時間になった。お昼をすませてお昼寝。
午後はなかなか芽が出ない天狗ナスには見切りをつけて(去年種をとる時に熟成度合いが足りなかったらしい)新たにもらった天狗ナスの種を蒔き直す。
種を蒔いたセルトレーをそのまま再利用して種を蒔く。
これで無事に芽がでることを祈る。
次はいたるところに生えてきている赤じそを畑に移植する。
畝間90cmくらい、株間50cmくらい。草掻きで植える場所の土をほぐしたら植えていく。
4列植え終わった。まだ移植したばっかりでクタッとして、頭が土についていて大丈夫なのだろうかと不安がよぎる。自力を発揮してもらうしかない、明日また様子を見てみよう。
移植が終わったところで妙子さんがナタマメの種を持ってきた。鶏小屋の脇と多目的小屋の脇に種を蒔きにいく。
まずは鶏の小屋の脇に、25cm~30cm間隔で2粒づつ蒔いていく。指で押し込んで、種の厚みと同じくらいの土が被るようにする。
次は、多目的小屋の前にも種を蒔く。
まだまだ明るい、時間があるな~ということで次はバジルの種まき。
さっき植えた赤じそのとなりの列に蒔いていく。鍬で草を剥ぎながら土の表面を起こしたら、25cm間隔で3粒づつくらい種を蒔いて、その上から土を軽く被せて手で押さえたら終わり。
これで今日の作業は終わり。妙子さんが今日の夕食の野菜を採ってきた。そら豆、玉ねぎ、ほうれん草。どんな夕食になるのかな?
食べるものを食べるその時に採って食べるという自然なことにとても感動する。今メインで野菜を育てている畑、家の目の前にある畑の面積があれば1家族が一年間食べるぶんの野菜を作ることができるらしい。それに田んぼが少しあればお米も作って食べることができる。
生きていくにはこのくらいの土地があればなんとかなるんだなと思った。そういう生活は都市部では中々難しいと思うけど、街から離れて郊外へ、田舎であれば可能かもしれない。
それでも今の様な農業スタイルは周りの人達の理解も必要だ。なぜこういう風なやり方で生産するのかということを知ること、草、虫が悪者だという思い込み(中には悪さをするものもある)を取り払うことが理解することへの一歩につながる。野菜がどんな場所でどういう風に作られているかは知ろうとしなければ知ることができないし、自分だってそうだった。テレビや何かで見ただけでは想像することも難しい。体験が伴うことで様々な部分に想像が及び全体のつながりも見えてくる。
太陽、草や虫、微生物がいなければ土はできず、土があるから食べるための作物をいただける。自分たちが作っているというよりは、そういう環境を含め作ってもらっている。「自然」に生かされているという感覚。人間はなるべくその環境を壊さないで生きるより他ないよな。他の生物が生きられなくなるようなら、最後に生きられなくなるのは人間だ。